[第40回]

真備福祉介護相談所ぶどうのつる

相談支援専門員・多田美佳(58歳)


ー2026年6月30日ー

はじめに

 

私自身がアルツハイマーの母を10年、在宅でマンツーマン介護をしていたので対談を聞きながら頷くことばかりだった。多田のあまりの強さに! 行動力も凄いけれど、特に精神力には「参りました」という言葉しかない。勉強になりました。

|妹の同級生

津田「今日偶々、妹と会ったんよ」

 

多田「そうなんですね?」

 

津田「奇遇」(二人爆笑)

 

多田「それは、そうですね」

 

津田「多田さんとは古い付き合いで、私の妹の同級生というところから始まってるんですね」

 

多田「高校時代になりますね」

 

津田「ねー! 古いよね」

 

多田「はい」

 

津田「そこから、間がズーート空いての今だから」

 

多田「津田さんの後を、いろいろ付いて行ってたんですね」

 

津田「それはないと思いますが…ギャハハ」(二人で大爆笑)

 

多田「ホント、そうでした」

 

津田「じゃけん、さっき多田さんの年齢を聞いて、そりゃあ私も年を取るなあ! って思ったところでした。ハイ。でも、何から聞こうかな?」(二人で大爆笑)

 

多田「困りましたね?」

|相談支援専門員

津田「じゃあ、始めましょう! 多田さんの今の仕事は何でしょう?」

 

多田「今は、相談支援専門員をしてます」

 

津田「相談支援専門員とは?」

 

多田「ケアマネさんと同様なんですが、ケアマネさんは高齢者が対象で相談支援専門員は65歳以下の障害の方が対象になります」

 

津田「それを田方さんや西澤さんと同じ事業所の中で、多田さんは障害部門をやってくれてるということですね。相談支援専門員になったのはいつ頃?」

 

多田「資格を取ったのは一昨年で、実働は去年からです」

 

津田「まだ、日が浅い?」

 

 

多田「浅いんです」

 

津田「でも、多田さんはそれ以前があって、自分の経験の中から障害とか若い人のことをしっかりサポートしたいっていう思いがあったんかなあ? って思ったけど、そこら辺の話は聞いても大丈夫?」


 

 

多田「大丈夫ですよ」

 

津田「その辺の経緯みたいなことを少し話してくれたら?」

 

多田「経緯? どこから話せば?……元々は津田さんと同じ様に病院の相談員、ソーシャルワーカーをしてたけど、そこから私は親の介護。若年生認知症の母と癌末期の父親の介護で病院を辞めて……」

 

津田「何年くらい相談員をしたん?」

 

多田「長男が生まれてから後なんで、4年くらいですかね? その後は、パートをしながら病院ソーシャルワーカーもしてたけど、両親を半年間ほどで見送った後に夫が若年生認知症になったから今度は介護の現場に入ったんです」

 

津田「仕事で?」

 

多田「そうです。で、介護現場に入ったんですが、子供たちが小さかったので生計を立てるためには何が良いかな? いろいろ考えて介護の現場かな? っていうことで入職したんです。で、障害の分野と高齢の入所と通所部門のことをやってました」

 

津田「それは何年くらい?」

 

多田「それでもトータルして8年? 9年かな? で、辞めてその後に若年生認知症の人たちの為の居場所とか、なかなか利用できないサービスや制度の狭間にいる人たちを助けたいな、ということで一般社団法人を立ち上げたんです」

|一般社団法人はるそら

津田「それは、はるそら?」

 

多田「一般社団法人はるそら、です」

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@ 一般社団法人はるそらホームページ

https://haru-sora.net

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多田「そこから岡山市からの委託事業で、ピアサポートのコーデネーターの仕事をさせてもらって、この機に夫を退院させたいな思ったんですがどこも受け入れがなくて……そんな折、津田さんに『うちが空いてるよ』って言ってくださったんで岡山から転居して倉敷に来て、その流れで拾っていただきました。って感じの流れですよね」(多田 爆笑)

 

津田「凄いな! 原稿用紙3枚以下で納まったな。長い道のりだったのに」(二人で大爆笑)

 

多田「ザックリでした」

|覚悟

野田⇨多田「真備の看多機にご主人いらっしゃいますよね? 若年性認知症なんですか?」

 

多田「そうなんです。長く精神科の方に入院をしてました。子供がまだ小さかったこともあり、夫に入院を承諾してもらいました。夫が変だな? って思い始めたのは35歳でした。仕事は42歳からできなくなって、その頃、男の子二人は中学生と小学生でした。

長男の高校受験前には働けなくなってましたから。その後、コロナもあって面会も出来ないし寝たきりになり、食事も食べられなくなり、もういつ亡くなっても……っていうことに。

大人になるまで子供をちゃんと育てるという約束で入院してもらったので、子供もちゃんと育ったし退院してもらうことに。ここからは太く短くでも在宅の中で生活させたいということでいろいろ考えていたときに
“ぶどうの家”に受け入れてもらったら、あれからもう2年ですよ」


津田「そうよねー キャキャキャー」 (二人大爆笑)

 

多田「どんどん元気になって。一応、胃瘻も去年しましたけど、今は口からも食べながら胃瘻からも入れながら、です」

 

津田「多田さんの中では相当な覚悟を持って」

 

多田「そうなんですよ」

 

津田「数ヶ月の余命かな? って覚悟だったんよね」

 

多田「その前ですが、津田さんは『覚えてない。忘れたわ』って言われたんですが、『退院させて在宅で出来るかな?』みたいな感じでね。水害があった後、ボランティアで来させてもらったときにも『3ヶ月の覚悟ができんと在宅は難しいよ』って言われて、『3ヶ月できるか?』と思いながら……」

 

野田⇨多田「その3ヶ月と言うのは、3ヶ月が限界ということですか?」

 

多田「違うんです。生活が安定するまで3ヶ月位は掛かるんじゃないかな? っていうことを言われてたんです。だから、その3ヶ月間を夫と一緒に過ごすのは経済的な面もあるじゃないですか? その間、仕事も出来ないだろうし、自分の体力的なこともあったときに3ヶ月後の蓄えをしておかないと出来るかな? 自分の生活のですよ。それプラス、夫は3ヶ月も命が耐えられるかなあ? とか。そんな感じの、本当に短期間。とりあえずって! なんかねえ」

 

津田「いろんなことがあるよね。長いこと入院してたとか、長いこと施設にいたとかって。で、介護者の人と離れて暮らしてて、でもやっぱり一緒に生活しようとなったら、3ヶ月位は本人さんの暮らしも落ち着かないし体調も落ち着かない。介護者家族の生活もガラッと変わるから、そこもあるしお金のこともある。二人の距離感みたいなところもある。その変動期が3ヶ月位は続くだろうから、その変動期を乗り切れるかどうか? で、その後の在宅が続くかどうかが変わってくるよなっていう意味で言ったかな?」

 

 

野田⇨多田「精神科の病院へ入院されてたんですか?」

 

 

多田「最初は認知症対応型、認知症専門の病院にいたんだけど、やはり若いし体力もあるからいろんな物を器用に壊しちゃったりするんですよ。特に、電気関係を壊しちゃったりすると病院と折半で支払うことになります。

 

認知症専門病院も高齢者の方を基本に考えてますから、対応がどうこうというのではなく、若いからハード面で厳しいなというところで精神科の方へ途中から変わって、そこからガッツリ精神科の方の保護室にいました。

それから動けなくなり、寝た切りになって精神科の別の病棟へ移りました」

 

 

野田「入院は何年くらいだったんですか?」

 

 

多田「8年ほどです。もちろん施設とかに申し込みもしたんですが、どこも “若い”ということで受け入れしてもらえませんでした。主人は障害のサービスも使ったり、B型作業所の方へ行ったりしてたけど、そこも難しくなりました。

 

ケアとか介護が必要になってくると作業所も難しいから介護保険でってことになったんですが…申請したら要介護3。でも、どこも受け入れてくれない。やはり、現場は女性ばかりだし、もし主人が怒り出したら止められない。

 

とか、もしかすると他の利用者さんに危害を与える可能性もある、とかね。これは未だによくある “あるある”なんですけどね。若年性認知症の男性の方って受け入れが難しくって、だから本当に、サービスをズーート使えなかったんですよ。『どんな人でも受けますよ』って言ってた老健施設でも、面接では『うちでは預かれません』って言われましたから」

 

 

野田「そうだったんですね。厳しいなあ!」

 

 

津田「事業所にしたらね、マンツーマンで付かんといけんじゃろ? っていうのが分かるからね。となると、相当の覚悟が必要になるもんね」

 

多田「でも私は、いろいろやりながら働いてたときに、認知症が重度でどこからも弾かれた人を受け入れるデイサービスの管理者をやってたんです」

 

津田「認知症デイ? 高いよね」

 

多田「認知症デイだと、やはりお金の面で利用できない人が多いです。

認知症加算も取るけど、認知症デイにはしないで一般のデイで弾かれた人を受けます。っていうコンビニエンスデイサービスみたいな、誰でも利用できるようにしたいという思いでやってたときは、職員から猛反発を食らったんですけど、そのお陰でいろいろと対応してたら、他所では暴力が出る、大声が出るという人も、向き合い方とか『あっ!! それだよな』っていう気付きとか、いろいろ学ばせていただきました。

 

だから、自分たちが一般社団法人を立ち上げて居場所作りとか、日中、介護保険とも障害とも違う居場所ってしたときでも、やはり皆さん、大きな声が出るとか暴力を振るうとか一切ありませんでした。結局、人と人の関係性なんだろうなあ! と思っています」

 

 

津田「それ、大きいよね!」

|優しい気持ちになれるために

多田「ま、そうは言っても大変ですけどね。自分の夫でもね、優しい気持ちになろうと思っても、毎晩大きな声を出してワーワーワーワーって言われて眠れんかったら、『大丈夫?』って言えなくて『ウルセエー』って言っちゃう」

 

津田「なるよねー」(苦笑い)

 

多田「暴言を吐いてしまうんですよ。となると、どうしたら良いか? 本人も大事だけど、家族とかケアをする人のケアもちゃんとしないと、それはやはり、虐待にも繋がります。だから、そういうためのお助け機関が必要だよねってことで活動してますけど、津田さんに『良いですか?』って聞くと『良いですよ』と即答を頂きました」

 

津田「休日はそっちを当てて。今はだから、岡山に住んでたんだけど、偶々さつきアパートが空いたタイミングでやって来て、そこに旦那さんと一緒に住みながら、多田さんは “ぶどうのつる”で週32時間勤務(短時間正社員)で働いてるんよね。だから近いので、旦那さんのご飯とかも帰って食べてもらったりとか、そんなこともやりながら、自分の活動もやってる」

 

多田「活動は、  “一般社団法人はるそら”ですけれど、これは非営利のボランティア団体で、倉敷市から委託を受けてやってるのもありますが、お給料は発生しない団体です」

野田⇨多田「介護 仕事 ボランティア。体、キツ過ぎません?」

 

 

多田「全然大丈夫です。とは言いませんが、でも、自分が当事者であったときに心底から困って一家心中しようと思ったことも事実です。あのとき、こんな場所があったらもっと違ったよなって思ったから、そういう場所って絶対必要だなと思い活動をやってます。

 

だから今、岡山・倉敷・笠岡・井原・福山。アチコチから来られますけど、認知症にパートナーがなったことで家族も生活が一変する。人生設計が激変するんだけど、そのときに受け入れられなくて自分の人生が哀しいモノ・悔しいモノにならないために。

 

で、病気なった本人が疎ましいモノにならないようにするためには、やはり仲間作りがとても大事だと考えてます。家族でも、理解してもらえないこともあります。でも、同じ思いをしてる人たちだったら、そこは分かち合える。で、そんな感じの場所が必要だなと思っていて、同じような思いをしてる人もドンドン増えて来ています。

 

全部を一人が抱え込んだらシンドイですけど、そこは上手に皆が協力をしてくれるので、自分の生活を守るためにも個々が繋がることは重要です。ただ、ボランティアだけでそれをすると苦しくなりますが、仕事は仕事の場。そこはそこの場。って切り替えて」

 

津田「仲間は、やはり大事よね。分かってもらえないことはイッパイあるもんな。専門職とかプロの相談員とかがいたって、当事者とは違うから分かり切らんよな」

 

多田「専門職の人たちはその場だけを拾うけど、24時間の生活の中では言葉にできないことであったり、『ここって大変じゃない?』って思うのは、やはり  “察する”ことができる力? 気持ちが必要になります。『今あの人、大変そうだから手伝おうかな?』とか『ちょっと声掛けしてみようかな?』みたいなことをしながらお互いが助け合う。どうしても、サービスの枠だと収まらない。『それは嵌まりませんよ』ということも結構あるんです」

 

津田「専門職が故に、サービスの枠の中で解決しようという思考がどこかに働くんよね。でも実は、それ以外の部分が暮らしなんよな。だから、そっちの方がウエートとしては大きい。ケアする側は」

|新婚が…

多田「『これが大変だろうから、ここを取り除いたら良いよ』と言われても…でも、私が夫と一緒に暮らしてなかったときは、割とそんな目線も多かったけど、大変だけど今、夫と一緒に暮らせることで、なんか8年振りに新婚当初のような雰囲気が戻ってきて」

 

津田「ズット言っとったよね。新婚が戻ってきたって」(二人大爆笑)

 

多田「でも、でも、新婚のときはこんなに仲良しじゃなかったけど、今は全てが愛おしく感じられるのは、やはり一緒に生活してるからいろんな気付きももらえるし、学ばせてくれるのも夫がいたからだなと思う。ありがたいですね。とはいえ皆さん、仕事をしながら介護をするということは難しい。本当に! 両立支援で癌の人とか、当事者の人のことでとか、認知症の人とかもなんですけど、家族が大変なのに両立の、そこがなんか? だから皆さん『辞めるしかないかなあ?』とか言ってて、だけど、辞めないで続けていける方法を! ね。私も働かせてもらってるから自分の時間っていうものもあって、介護ばかりじゃないから、助かる」

 

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@両立支援とは (TOKYOはたらくネット より抜粋)

従業員の仕事と生活の両立を企業が支援することで、従業員が育児や介護といったライフイベントによって離職することを防ぐなど、職場環境 整備の取組です。具体的には、制度の整備・拡充・見直しや残業削減・休暇取得 促進に向けた業務の見直しなどを行うことです。

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津田「そこは大きいよね。  “はるそら”の存在も大きいし。私も母の介護をしてるけど、サービスを凄く使わせてもらって、自分の時間も確保して、っていうのでやれてるから、やはりそこら辺の切り替え? 自分自身の切り替えは凄い必要よね」

 

多田「そのためにも、仕事を辞めたら? 辞めたらおかしくなりますよね?」

 

津田「無理よな!」

 

多田「絶対無理。辞めた方が潰れる」

|原動力は“怒り”

津田  “はるそら”もやって、いろんな活動もやって仕事も介護もやってるけど、多田さんの原動力ってなに? 私、自分自身は“怒り”なんかなって?」

 

多田「私も“怒り”ですよ。元々は、できることならこの大きな体を隠しながら、あまり責任を持った仕事もしたくないし、のらりくらりとしたいけど、いろんなことが腹立つなあ! と思うと」

 

津田「なんでこうなるん? とか」

 

多田「ソーシャルワークってモノが本当に大切で、それを続けていきたい。

っていうのはズーート思ってて、病院を離れた後も、デイサービスでも他でもそこは絶対ブレちゃいけないと思って来たたんです。多分それは、いろんな不条理なことを見て来てるから。

 

自分も言われ続けて来たけれど『制度にありません』『仕方ないですね』っていうのは、その言葉に本当にカチンと来ちゃう」

 

津田「“怒り”に変わる」

 

多田「そうそう。ま、そう思うとなんか『本当にダメなのかな?』とか、いろいろ思うから。だけど、利口だったらやってないですよ」

 

津田「本当にねー」

 

多田「そうでしょ?」(二人して苦笑い)

 

津田「私もね、お利口だったら “ぶどうの家”やってないよね」

 

多田「私も “はるそら”を、なんでやったんだろう? って。『そりゃあ、皆せんわ』とか思うんです。NPOでも損なことが…。めんどくさいのになんでやったんだろう? 頻繁に思うんですけどね……でも、辞められない」(二人 爆笑)

 

津田「でも、今はご主人と一緒に暮らせてね」

 

多田「ホントにね! ありがたかったです」

 

津田「体調もなあ!」

|動物から人間へ

多田「ドンドン元気になって。最初、退院したときなんかは二人介助じゃないとダメでした。体も拘縮してて、神崎(第4回登場)さんと山形(第18回登場)さん二人が1時間近くかけてストレッチで帰って来てたのが、今ではカチカチだった体が動くようになりました。

 

オシメの中に手を突っ込んだり、胃瘻を触ってみたり。退院時、たくさんの友人が来てくれたんですが、対面した途端『オオッ!!』でした。事実、夫は動物みたいで『この塊、どうしたら良いんだろう?』って。だけど、段々と人に変わって来てる」

 

津田「変わって来てる。凄い表情があるよね」

 

多田「今は良く笑うし、怒るし。表情も出てきて、嬉しそうな表情というのは、『あっ!! 楽しいんだろうな?』っていうのも、言葉は出なくても理解できます。人間に変わって来ました」

 

津田「ちゃんと表に出してるよな、感情をね」

 

多田「そう。そんなこんなを分かってくると、人間って未知数だし、学んできた教科書通りのモノって何も無いんだなあ! 一緒に生活をしてイッパイ気付きをもらいました」

 

津田「多田さんはマッサージをしてあげたり、いろいろしてあげて本当に一生懸命。凄いやってきてるから、日々の積み上げがちゃんと現れとるもんな」

 

多田「でも、いろんな人たちが関わってくださってるし、お出掛けなんかもね」

 

津田「そうそう。お出掛けができたねえ! いろいろね」

 

多田「そうですよ。夫のことを思って立ち上げしたのに、肝心の夫は連れて行けれないなと思ってたけど、去年は福山の鞆の浦へ。夫が行くと言うので長時間のドライブでした。スタッフさんに助けられて」

 

津田「もちろん、こっちも勉強になるからね」

 

多田「でも、ありがたかったです」

 

津田「マックも行ったしな」

 

多田「病院からのサマリーとかで『この人はできません』とか『二人介助で云々……』とか。

多分、それをもらって普通にそのまま施設に入れてたとします。施設がサマリー通りにすると、きっと彼はガチガチのまま固まってて、早く亡くなってただろうな? と想像します。

 

そして今、『こんなのやりたいんだけど?』『じゃあ、やってみようか』ってしてくださるから、ドンドン体も動けるようになったし表情も豊かになりました。退院して1年もしないうちに凄く変わりましたからね。『動物から人になったなあ!』。つくづく思うし、嬉しくて仕方ありません」

 

津田「変わったねー」

 

多田 “よし! 3ヶ月は”ってやり始めたけど、いざ始めると昼夜逆転も1ヶ月半ほどで治まって、子供のように目で後追いするようになり、寝返りまで打てるようになったんです。やはり、人には人なんですね。あのまま病院にいたら、もうお別れしていたはずです」

 

津田「そこは多田さんの覚悟があったからこそ、皆でサポートできたんよ。私たちが信じることを止めたら、諦めたら終わりじゃもんな」

 

多田「でも、なかなかそういう風に思ってくださる所が無いから。専門職の人ほど、『認知症。もう寝た切りになって、なにも分からんですよ』とか『痛みもありませんから』とかね。『そんなわけないでしょ?』と思うようなことを言われることも多かったけど、やはり『違うよね』とか『こんなことやってみたいな』というところで『じゃあ、やってみますか?』と言ってくださった。もちろん『ちょっと恐いな?』と思いながら見てくれてるんだろうけど、そこが大事ですよね」

 

津田「チャレンジせんとな。やってみないと、出来る? 出来ない? 分からんもんな。多田さんが出張とか行ってても、ご主人は“ぶどうの家”に泊まってて、ちゃんと待ってるもんね」

 

多田「夫は夏が弱くて、点滴が必要だから医療は離せないけど、真備は看多機だから点滴してもらったり、経管栄養のときでも直ぐ抜けたりで私も入れるけど『ま、少々良いよねー』みたいな感じでやってても、それは如何なものかって直ぐに飛んできてくださって。退院したけど、これは本当に一人じゃ無理でした。タイミングも良く、つくづくラッキーでした」

 

津田「そういうね、頑張ろう! をサポートするのが私たちじゃけんね。私たちが諦めたら終わり。長くなりましたが、私や会社に要望があれば?」

 

多田「特にはありません。夫と私、今後ともよろしくお願いします」

 

津田「ありがとうございました」

|終わりに

時々、艱難辛苦を語る多田の瞼が濡れているようにも見えた。歓びを語るときは満面の笑顔。素敵な話を聞かせていただきました。改めて、勉強になりました。