ー2025年12月10日ー
はじめに
この企画の対談の場では、私はスマホとテレコを1台ずつ置いて録音している。計2台だが、もちろん片方は予備。
その後、文章化するために必ず、日課のウォーキングをしながらイヤホーンを耳に当て、内容を聴きながら歩く。
対談中の声を一回り~二回り。猪が出没する細い田舎道なので対向車・対抗者を意識する必要もない。
で、今回の山形も同様に聴き始めたのだが、一回り目の前半で止めた。
というのも、分かりやすいのだ。分かりやすいということは、纏めるのも簡単。
津田が対談中に言っているように、山形は言語化するのが上手い。
過去にこの企画に登場した数人からも、「山形さんのお陰」という感謝を耳にしている。
教え上手であり、語り上手でもあるのだろう。
つまり、私的には、今回の対談を纏めることはとても簡単だった。
津田「では自己紹介を」
山形「山形則子です」
@対談というより談笑形式で進んでいく
津田「山形さんは、看多機とサテライトのケアマネジャーです」
山形「そうです」
津田「で、山形さんが “ぶどうの家”に来たのは5年前?」
山形「4年? 5年? 5年ほど前だったと思います」
津田「元々は、真備の老健にある地域包括支援センターで働いていて…」
野田→山形「大熊さんの所ですね。介護保険始まる前に取材で出向いたことがありました」
@大熊正喜氏のフェイスブック自己紹介より
<大熊正喜さんの自己紹介>
老健施設ライフタウンまび「前」チーフマネージャー。2014年1月から役職を降りて、母の介護をしながら細く永く介護現場に関わり続けてきた。2019/1月、65歳になるのを機にフリーの「年金生活者」となる。2/28に母が他界。実家の高松と倉敷自宅を往復し母の残した目に視えない遺産を大切にしながら、真備の災害復興もぼちぼち応援していきます。
山形「そうです。大熊さんに育ててもらったんです」
津田「私も大熊さんに育ててもらったので」
野田「大熊さんは三好春樹氏と親しいですよね」
津田「そうですね。だから、山形さんの新人研修のとき、三好さんのビデオを全部観たんじゃろ?」
山形「ビデオは観ました」
@ウィキペディアより
三好春樹(みよし はるき、1950年 - )は、日本の介護、リハビリテーション(理学療法士)の専門家。生活とリハビリ研究所代表。広島県生まれ。
津田「で、包括で働いていて、水害(2018年 西日本集中豪雨)のときも包括で働いていて、その後?」
山形「包括がなくなると同時に病院へ移動になったんです」
津田「なくなると同時に移動になって、病院の医療相談室でソーシャルワーカーとして働いていて、それが何年くらい?」
山形「1年半くらいですかね?」
津田「で、私が“ぶどうの家”に来て 来て 来てってlove callを送り続けていたので、やっと来てきてくれた」
山形「いえいえ。病院が苦しかったので、津田さんに拾ってもらったんです」
津田「『病院が苦しかった』というのは、なんでか? 聞いても良いん?」
山形「苦しかったのは、決められた枠内で働かないといけない。というところですかね一番が」
津田「決められた枠の中? というと、それは建物っていう意味じゃなくて?」
山形「建物もですし、退院のためだけに働かないといけない。ということもです」
津田「退院のためだけに? 本来だったら退院をしようと思ったら、もっと動かないといけないことがあるにもかかわらず、行先だけ決めたら、はい終わり。みたいな?」
山形「なんて言ったら良いのか難しいんですけど?」
津田「私は、とても分かるんじゃけど。例えば、一緒に仕事を探すとか?
その人が仕事がなくて退院できないんなら一緒に探すとか。
家族関係が上手くいかなかくて退院できないなら家族との調整をするとか?」
山形「その人を知って、その後を考えるということをしなくても良い。というところが、楽でもあり苦しくもあり」
津田「目の前に、患者さんとしてやって来た人の、人となりとかの前に病気の名前だったり行先をどうすれば良いかが決まればオッケイみたいなシステム?」
山形「そういう仕組みにもなってます。面白みがなかったというか? 我儘なんですけどね」
津田「でも、包括のときはもっとやり甲斐はあったんよね?」
山形「包括はそうでした。個のケース。地域を見るってところが面白かったですね、私は」
津田「個のケースから地域を見る? それは例えば、どんなこと?」
山形「個のケースから地域を見るって言うと凄く格好良い感じですけど……」
津田「良く分からないんですけど?」(爆笑しながら)
山形「多分? 小規模の考え方に似てる部分もあるんじゃないですかね?」
津田「目の前の人がどんな人かな? というところから入って、その人が…」
山形「この地で暮らし続けていくために地域がどうあったら良いか?
じゃあ、暮らしやすい地域にするにはどうすれば良いかを、地域の人と一緒に考えていくところに面白みがあるなあ! って思っています。それは今の仕事にも通じてるようにも思えます」
津田「自分一人じゃなくてね。いろんな人と繋がりながら」
山形「そうです。地域の人とか、資源とか。持ってる力を考えて働くというのが面白みです」
津田「山形さんは社会福祉士じゃん。社会福祉士の人たちって、そういう視点を持つ人は多いんかなあ? って思うんじゃけど」
山形「どうですかね?」
津田「ただ、今のソーシャルワーカーさんたちは、地域を繋ぐということが難しいのかもしれんな? 仕事として」
山形「そんな暇はないです」
津田「制度を紹介するとか、退院先を見つけてあげるとか?」
山形「私たちの言う街づくりの社会資源って、街の中にあるモノ全てが資源なんだけど、病院の中にいると、地域と繋がっているということは事業所をたくさん知ってるとか退院先をイッパイ把握してるとか」
津田「捻じ込める先がイッパイあるとかね」
山形「この疾患はこの病院ならいけるっていう所をたくさん知ってると、地域を知ってるという評価に繋がるような気はしてました。
1年半しかいなかったけど、そんな風に感じてしまうんです」(「これを書かれると困るかも? 私」と山形が言いつつ、二人して爆笑)
津田「昔のことを言っちゃあ悪いけど、医療相談室の仕事も変わったのか? 私がいた医療相談室が、それこそ大熊さんの所だったから特別だったのか?」
山形「ハイハイハイハイ、そうかも?」(二人して再爆笑)
津田「やっぱ、面白かったよ。町の、地域の保健師さんたちと一緒に利用者さんのお家を訪問したり。まだ私も若かった。家を訪ねるといろんな人がおって、若い私の常識を飛び出した所に暮らしているような人たちだらけだった。で、そういう人が家にいたいと言うわけよ」
山形「ですね。そういう人に限って」
津田「なっ!!」(山形の同調に、強く納得のアクション)
@爆笑 爆笑の渦の中、談笑は進む
津田「ところで、山形さんはどうして福祉の勉強をしたの?」
山形「なぜ、社会福祉士を目指したのか? ですか?」
津田「当時、もう社会福祉士はあったんよな?」
山形「あったんですよ、実は」
津田「私は無い時代だったもんで」
山形「私の場合、高校を出る頃には就職氷河期だったんですよ。なりかけ頃かな?
で、『福祉を学んだ方が就職があるだろう』って友だちから指摘を受けて、『なるほど』って思ったんです」
津田「先見のある友だちじゃなあ!」
山形「社会福祉士になりたいとか福祉の勉強をしたいとか、全く思ってもみなかった人だったんです、私。
とりあえず就職するために福祉の学校に行ったというのが実情で、社会福祉士の仕事はしたくなかったんです本当は」
津田「そうなんじゃ。でも、目の付け所が良かったよな」
山形「その友だちはね」
津田「その友だちは、同様の仕事をしてるん?」
山形「してないんです」(爆笑を超えて、二人でバカ笑い)
山形「志の高い人は当時、志が高いとみられていた人たちは多分? 潰れるのかな? 理想と現実の違いに凹んで。
私は理想が無いので潰れなかったのかも?」
津田「でも、理想が無かっても医療相談室とかソーシャルワーカーではシンドイってなるんだ?」
山形「理想がなかった? 理想があると?」(なぜか? こんがらがってきた山形)
津田「理想があるからシンドイのかと思ったんよ」
山形「理想があるからシンドイんです。あっ!! 私?」
津田「そう」
山形「私、最初は大熊さんの下だったじゃないですか。それこそ常識の外れたところにいたから平穏を維持できていた気がします」
津田「でも、理想がないとか志がないとか言いながら、どうして今みたいな凄い考えに至ったの?」
山形「凄いことはないですけど、なんででしょう? 流されて来た気がします」
津田「流されてたとしても、そこまでの考えに至るのは凄くない?」
山形「この仕事を続けようと思ったのはですね。結婚して辞めようと思ってました。出産して辞めようとも思ってました。でも、お金がないから続けたんです。
お金がないから給料貰える所で続けようと考えました。転機は、娘が小学校に入学するときにパートになったんですよ。
それまではフルで働いてたんですが、パートになって初めて気付いたんです。
『やり甲斐がない』と。背負ってるモノはなくなり、やらなきゃいけないという責任感もなくなり。気軽になったのに」
津田「そうなんだ。これは、ちょっと違うな? みたいな」
山形「置いていかれる感? 取り残される感? そんな気持ちになったのがパートの期間でした。
その時に、ミチヤさんが真備に帰ってきてて、ケアカフェを始めるって声を掛けてくれたんですよ。
なんか? それに救われた気がしました。だから、ミチヤさんには凄い感謝です」
津田「これも凄い!」
山形「巡り合わせ。その頃、ちょっと困ったケースがあって、後見とかを利用しないといけないケースで、社会福祉士だからケースを受け持ちました。
で、そのときにはミチヤさんと知り合ってて相談に乗ってもらったんです。
そのときに、『こんなの(ケアカフェ)始めるよ』って言われ興味が湧いたんですよ。
でも、もしフルで働いてたら、時間的にも気持ち的にも余裕がないから行きたいとは思わなかったはずですが、パートで随分と気楽だったから夜の集まりにも積極的に向かえたんです」
津田「凄い巡り合わせだね。そういうケアカフェのメンバーとの関わり合いがあるからかもしれないし、その辺りはいろいろなんでしょうけれど、山形さんって利用者さんの権利? 常に利用者さんの立場に立っていることがいつも凄いと思うんよ。その視点が」
山形「自分本位だからじゃないんかなあ? 私がこうしたい、みたいな?」
津田「自分だったら、みたいな?」
山形「自分だったら、なのかなあ? こうした方が、私の価値が上がるって思ってる気がする」
津田「価値が上がる? そう思えるのが凄いと思うし、その利用者さんが思う理想の形になるためのことを真剣に考える。どうすれば良いのかを」
山形「それは、津田さんがいるからかもしれない。津田さんが反対しないから。これが大きい気がするし、後押ししてくれてるとも感じるから。まあ、『こう考え、動かないと津田さんは納得せんじゃろうな?』というのもありますけどね」
津田「あるじゃろ。それは、ホンマにあるじゃろう」
山形「根底の倫理観みたいなのは、大熊さんが居たところに居たという二人の共通点が大きいのかもしれないですね」
津田「そうかもね。私たちにとって大熊さんの存在は大きいんかなあ?」
山形「私には大きいですね。津田さんにどれ程の影響を与えてるかは分かりませんけど。でも、根底の倫理観の共通項がそれを裏付けてるとは思いますよ」
津田「だけど、山形さんが“ぶどうの家”に来てくれたから、ここも凄く変わったと思うんよな」
山形「本当ですか? 嬉しい」
津田「そんな視点というか? 山形さんはそれをちゃんと言語化できる人なんよ」
山形「そうなんですか?」
津田「ちゃんと出来てる。私は出来ないから、いつも苦しいんだけどね。だから、凄いなあ! と常々思ってる。ところで、山形さんは、どこでどんな風にして言語化できる人になったんかなって」
山形「えー? 言語化できてる自覚がないからなあ。もっと上手く表現できたら? もっと上手く伝えられたら? と、反省することも多いから」
津田「山形さんが“ぶどうの家”に来て良かったことは?」
山形「良かったことですか? 悪かったことがあったかなあ?」
津田「全て良かったんじゃ?」(二人で爆笑)
山形「これこれが良かった、というのは思い出せないけど、正しく仕事ができたというか? 自分の良心に嘘をつくことなく仕事ができています。他所にいると制度上できないとか? もちろん“ぶどうの家”でも制度上できないことはあるんですが」
津田「それはあります」
山形「悪いことはやっちゃいけないんだけど、 “こうあるべき”だって思うところを偽らなくて良いというか? そこに寄り添うためにはどうすれば良いのか? を考えられる場です。ただ、仲間の存在も大きいな! それを理解してくれる神崎さんや久保さん。ただし、そこで側から否定されると踏ん張れないかもしれないかな?」
津田「何を大事にするかっていうところが共通してるんかな?」
山形「そこは津田さんの力だと思ってるんです」
津田「偉いなあ! 私」(二人 爆笑)
山形「本物の社長みたいですよ?」(二人 再爆笑)
津田「山形さんはいつも、物事をいろんな方面から考えてるんかもしれんな?」
山形「そうかなあ?」
津田「さっきだって、『良かったことは?』って聞いたら『悪かったことがあったかなあ?』って言ったけど、そんな風に考えられるっていうのが、つまり、いろんな面から見て考えとんよ」
山形「良かったことは、これ。というのが直ぐに閃かなかったから」
津田「そういうのが凄いんよ」
山形「そうか。私も凄いんじゃなあ!」(爆笑が弾ける)
津田「病院は別として、包括と“ぶどうの家”を比較すると?」
山形「包括と比べると“やらされる感”はないですね。委託業務なので、やりたいか・やりたくないかは無くて、やらねばならい事案が降って来るので、そこに納得がいかない怒りのようなものが結構あったけど、今、それはお陰さまで消え去ってます」
津田「残念ながらお金にはならんからね、委託はないから」
山形「そうなんです。お金がないのは苦しいですけど、でも、それをどうやってお金にするか? を考えるのも楽しいような…」
津田「そうよね。無いところから作っていくのも楽しいよな。
で、山形さんはこれから“ぶどうの家”でやりたいこととかありますか? もっとこうしたい、とか?」
山形「一つは、“ぶどうの家”の存在をもっと知ってもらうために動く必要は感じてますね。
逆に、地域に“ぶどうの家”の役割を知ってもらえれば、もっともっと小規模の仕事は楽しくなる気がします。介護の仕事そのものも」
この日、山形は真備地区で開催されるお祭りの準備に勤しんでおり、チラシ配布の下準備を黙々とこなしていた。山形の、“ぶどうの家”本来の仕事ではないにも関わらずだ。
地域密着を謳う施設は数知れずだが、この姿勢こそが地域と繋がるということのお手本そのものに見えた。