ー2025年3月10日ー
はじめに
看護師としての福岡のキャリアは40年以上。外科・内科等で、いろんな場面と遭遇し今に至るのだけれど、精神科勤務の頃の話はとても興味深い。
津田「福岡さんは、看護師さん?」
福岡「そうです」
津田「今まで、どんな所で仕事をしてきたんですか?」
福岡「外科系、内科系、透析、精神科系」
津田「外科、内科、透析、精神科」
福岡「あっ! それと、胃腸外科ですね」
津田「老人系も?」
福岡「はい。そうなります」
津田「で、看護師さんとして、どんな仕事をしてたんですか? 外来?」
福岡「若いときは病棟でした。ある程度の年齢になると外来が主でした」
津田「病棟へ行ったり外来へ行ったり」
福岡「ですね。透析だったら透析室と、そこを利用しながら入院している患者さんも診てました」
津田「つまり透析だったら、透析に通って来てる馴染みの人が入院してるって感じ?」
福岡「そうですね。だから、体調を崩してそのまま入院とか。ベッドが22床程ありましたから」
津田「こんなことを聞くと失礼かな? 看護師のどんなところが面白いの? どこの科が面白いとか?」
福岡「全部、面白かったですよ。でも、やはり資格を取得して、一番に外科に手を付けたかったです」
津田「外科? 手を付けるというのは?」
福岡「昔だったら、心電図もそうだしレントゲンも自分等で。現像も。
内科はいつでもいけるな、と思ってたんで……だから、例えば血管に注射の針を刺すとかね。
とにかく、技術を身に付けたかったんです」
津田「そこには何年くらい?」
福岡「2年位ですね。そこで結婚があって辞めたんだけど…」
津田「そうなんじゃ。外科の2年。面白かった?」
福岡「面白かったですね。いろいろとオールマイティーに出来ましたから。そこでは病棟と外来を受け持ってたんで」
津田「じゃあ、私等では分からんことをイッパイ経験してきたんじゃ」
福岡「そうは言っても大昔ですから。40年以上も昔の話です」
津田「40年以上も昔の外科?」
福岡「先生、もうリタイヤされてますけどね。病院もたたんで」
津田「外科だったら、凄い状態の人が運び込まれるということもあったでしょうね?」
福岡「救急的な事はなかったです。個人病院だったんで。でも、先生の身内で癌に罹患した方がいらして、最期まで看続けました。職員皆で」
津田「そうなんじゃ」
福岡「だから、面白いと言えば面白かったです」
津田「外科的技術を勉強したり身に付けたりしてても、次に精神科とかへ行くと場面は同じじゃないよね?」
福岡「全然違ってました。仕事は入浴介助に作業リハビリ。外科的技術とは無縁の世界でしたが、一番キツカッタのは薬です。薬の調合が大変でした。薬剤師の方もいましたけど、間違えたらとても危ない。で、隔離病棟がありました。独房。鉄格子の部屋です」
津田「鉄格子があって完全隔離の部屋かあ!!」
福岡「そう。トイレもオープンです。丸見え。いろんな場面がありました」
津田「そこだと、生死に関わるような人も?」
福岡「いましたね。ただ『こんな若い人がこんなことになるんだ!』 という場面にも遭遇します。で、今は病名がイッパイ付いてますけれど、統合失調症とかね。でも、あの時代は無かったから」
津田「その頃は何年前?」
福岡「30年前くらいになりますかね?」
津田「30年前か! でも、精神科も変わったもんね。何が面白かった?」
福岡「『何が面白かった?』うーーん、いろんな勉強をさせてもらえたのは事実です」
津田「それは?」
福岡「患者さんが興奮してるとき。そうではないとき。状態に大きく隔たりがあるので。もっとも男性職員が多いので、興奮状態の人の場面では彼らが…ね。時代が違いましたからね。当時、何かあれば、直ぐに薬か注射」
津田「そうかー! 医療機関でもあるから、そういうことが直ぐに出来ちゃう。『あっ!! 興奮したな』っと思ったら…」
福岡「振り返れば、凄い時代でした」
津田「だけど、そんな最中でも看護師としての歓びはあったの? 『やってて良かったなあ!』とか」
福岡「それは…付き添ってはいけるけど。外科とか内科等なら “帰り”があるから。つまり、ほとんどの人が入院時より良くなって退院し、家に帰るじゃないですか」
津田「目にみえる形でね」
福岡「そうそう。でも、ああいう所では絶対に帰れませんから」
津田「あっ!! そうか! 昔は、精神科は帰れなかったんだ」
福岡「帰れない」
津田「退院は無かったんだ」
福岡「無い無い」
津田「そういう時代よね。それを見てきたんだ」
福岡「そうなんです。なんだかね……」
津田「で、そこから老人の病院とか?」
福岡「そこから透析でした。あっ!! S病院へ行ってた」
津田「いろいろ体験してますね」
福岡「S病院では、今の訪問の先駆けだったのかなあ? バイタルを測って入浴介助もしてたけど、S病院にデイケアで来てる方が、お家で過ごしてる時間に訪問してましたから。でも、濃いですね」
津田「濃い?」
福岡「まだ寝たきりの人がそんなにいなかった時代だから」
津田「オオッーー!!」
福岡「身体が不自由な方はいらっしゃいましたよ。だけど、寝たきりで45分から50分ガッチリ介助という方はねえ?」
津田「寝たきりの人は当時、何処にいたんだろうか?」
福岡「でしょう! いなかったと思うんですよデイケアで」
津田「それは、デイケアだからね」
福岡「麻痺の人とかはいても、寝たきりの人はいなかったから」
津田「時代が変わってきてて、皆、自分が何処で暮らすか? を選択できるようになったから」
福岡「医療は1年1年大きく変化してますね。十年一昔は過去の言葉です」
津田「どんどん変わるよね。褥瘡の手当の仕方だって凄い勢いで変わった。私なんか詳しくないけど、外から見てても『変わるんだな』っていうのが実感。でも、それを皆、情報を収集して勉強して、そして実践して」
福岡「根本はあるんですよ。今も30年前もほぼ一緒なんだけど、薬が変わったりするから。物品とか機械もね。
で、当時、デイケアの周囲で見ても『認知症の方、いらっしゃったかしら?』って感じでしたからね。
認知症そのものも知られてなかった。病棟は、また別かな?」
津田「呼称は当時、認知症ではなく痴呆症だった。で、私の中では、病棟には重度の認知症の方とか寝たきりの方とか多かったなあ! というのが実感。でも、その人たちが、今は家で暮らし続けることが出来る時代になったから、そういう点では凄く変わったなあ! って思うんよな」
福岡「確かにそうですね」
津田「福岡さん、もし認知症になったら何処で暮らしたい?」
福岡「自宅かなあ? 出来る範囲なら」(しばらく考え込んで)
津田「家?」
福岡「出来る間は。施設かあ? やはり『施設はちょっとなあ!』 とは思うよね。家が良いなあ!」
津田「そうね。やりたい事がやれるし、自由な時間が多くて、自分の分かる物が周りに全部あって。落ち着きはあるよね。過ごす場所が変わると、知らない人で、知らない物で、知らない場所で、知らないだらけで、ね」
福岡「でも、当人たちも複雑でしょうね。『ここで暮らすんよ』と言われてもね。全く分からないんであれば仕方ないけど、まだ自分を見失ってない人なら混乱もするし、寂しさも募るんじゃないですか?」
津田「そうね、きっとね」
福岡「家に帰りたいけど帰れない。迎えも来ない。気の毒だなあ! 家庭の事情もあるし」
津田「自分で選べるのが一番ね。居場所を決められる」
福岡「でも、なかなかね? 施設ってなると、毎月払う金額、子供等とか自分でとなると無理でしょうね」
津田「じゃあ、出来るだけ頑張って家におらんといけんね」
福岡「そう。おりたいけどね?」
津田「何が? どうだったら家にいられるの?」
福岡「家? そうね。本当にしたいことができたら良いよね」
@話が噛み合わない。
津田「家に居続けることを阻害する要因もあるじゃない?」
福岡「あるよね、確かに」(福岡は考えこんでしまう)
津田「福岡さんは看護師として、訪問看護で自宅に伺って利用者さんやご家族の話を聞くじゃない。で、家で過ごす人たちが持っている悩みも共有してるから、施設で過ごす人と自宅で過ごす人の両者の気持ちを理解してるじゃない。一様じゃないけれど、悩みも歓びもね」
福岡「だから一番、嫌。もう、ポックリ逝きたい」(二人で大爆笑)
津田「ポックリ逝きたいんだ」
福岡「呆けたくないなあ! 一番寂しいじゃろうな。『なんのために生きてるんだろうな?』ってことになるもんね。見てて」
津田「えっ!! そうなん?」
福岡「辛いときもあるじゃろうな? って。『いきたいけど、いけれんのんよ』って人もいるじゃないですか?」
津田「どこへ?」
福岡「上に」(上に向かって指をさす)
津田「あっ!! あの世へ」
福岡「そう。『もう、これ以上に迷惑掛けたくないなあ!』って」
津田「それは、在宅・施設に限らず多くが言うよね。それと『ポックリ逝きたい』もね」
福岡「そうそう。姑さんがそれだったんですよ。患わず、私たちが気づかないうちにポックリと。患わない方が良いですよ」
津田「今言うところの健康寿命が、長い方が良いよな。患ってる期間は短い方が」
福岡「ですね。うーーん? 下の方が出来なくなると厳しいですね。だったらポックリ逝きたいなあ!
でも、嫁たちが施設へ入れるかもしれないしなあ?
息子は看たいって気持ちはあるかもしれんけど、結局は嫁の手に掛かれば?
看ないと言われれば、それも寂しいし。主人と二人で『ポックリ逝きてえなあ!』とは言ってるんですけどね……」
津田「それなら、お嫁さんと仲良くしとかんといけんなあ!」
福岡「仲良くしてても、現実に手が掛かりだすと? 我儘が出るから。認知症を発症すると、分からないでしょ。言いたい放題」
津田「言いたい放題、言いそう?」
福岡「我慢すると思う。今でもズーートだもん。どっちかが、折れる折れないの違いで。だけど、いざとなるとね。生活となるとね、複雑で微妙」
津田「そうね。その時にならんと分からんね」
福岡「歩く姿は元気だけど、膝と腰が悪いんで着座するのも一苦労。だけど、我が家では誰もしないよ台所。
毎年ね、盆正月は台所で立ちっぱなし。もっともね、台所へは誰も入って欲しくないから。
作って、無くなればまた作って」
津田「そうなん? 料理は好き?」
福岡「好き。洋風はあまりしないけど、和風は。簡単なお節とか、煮物とか全部して」
津田「良いなあ!」
福岡「結構しますよ。人が来るとなれば」
津田「買い物行って、下ごしらえして」
福岡「毎年のことだし。でも、待ってるし。息子等は、母親の味で食べたい」
津田「お嫁さんたちも、その味を引き継いでくれたら良いね?」
福岡「長男の嫁は引き継ぎましたね。何品かはレシピ教えて『どうするこうする』ってしてますから」
津田「良いなあ!」
福岡「やはり、食からですよ。冷凍は使いたくないですね。天麩羅なんかは冷めないうちに揚げて直ぐに出すんですよ。
揚げといて出すと、ベタッとするんです。つまり、揚げながら出す。串にしても、つまみにしても」
津田「素晴らしい!」
福岡「季節柄のね。旬のモノを使って旬のモノを食べさすから」
津田「うわー!! 楽しいね」
福岡「保存食とかね。作るの大好きですね」
津田「そういうの、やったら良いじゃんね」
福岡「梅干ししたり、ラッキョウ作ったり」
津田「梅酒にね。ここでもやってくれたら良いのに?」
福岡「材料があればね?」
津田「本当! じゃあ、一緒にやって。梅とかは届くけん。で、今年は柿がいっぱい成ってるから、利用者さんが柿を皆で剥いくれてる。昔取った杵柄で、皆、生き生きしてくるんよな」
福岡「じゃあ、やりましょう」
津田「やったー!! では、福岡さんから私や会社へ、注文なり要望があれば言ってください」
福岡「1年ちょっと経験させてもらって、なんだろうなあ? そうそう。レクリエーションぽいモノがあまりないんよね? 利用者さんが毎日、ただ単に座って時間を過ごす。大きなイベントっていうのは時々あるんだけど……利用者さんのほとんどは、毎日を横になって過ごしたいんかなあ?」
津田「聞いたら、そう答える人が多いんだけど、それ、凄く良い目線だと思う。私も同じように思うんだけど、イベント。例えば、 “ソーメン流しやります”とか必要だけど、ここが家だと思うと、ソーメン流しを家でやることってないでしょ。ただね、それはそれでオッケイなんだけど、もう一方で日々の暮らしがどうやれば豊かになるか? を皆で考えられたら良いなと思ってる」
福岡「それが、余裕がないんよ」
津田「塗り絵を、させとけば良いんだ! ってことにもなるので、塗り絵をやってるから良いわけではないと思うんよ。
じゃあ、その塗り絵はなんのためにやってるんか? とか、その人が趣味で好きでやってるんだとか、そういう根っこを分かってあげて、時間を共有しながら一緒に築いていけるかどうか?
そんな姿勢がスタッフに必要なんよな。ただね、本当にここ数年、メッチャクチャ人手不足でスタッフが大変。日々を暮らしていく基本的なところを維持していくだけでも大変で、そんな中でも、どうやって皆が楽しく出来るんか? っていうのでソーメン流しをやろうとか、いろんな事も考えてくれてる。お出掛けもしたい、とかもね。
で、これからは人が、スタッフが増えてくる。間違いなく。そうなったときには、今まで『あれやりたい・これやりたい』って考え計画していたことが花開いていくと確信してるんよね。
だから、今は辛抱の時期なんかなあ? でもね、福岡さんのような目線で見てくれてる人がいることに、とても心強さを感じます」
福岡「ありがとうございます」
津田「じゃあ福岡さん、ここで天麩羅をやろうな!」
福岡「了解しました」
精神科病院内の奥。スコブル興味深い内容だった。改めて、この対談を通じて、いろんな人、いろんな世界があることを認識させられた。ありがとうございました。