[第39回]

真備福祉介護相談所ぶどうのつる

ケアマネジャー 介護職員・三原田方倫子(たがた みちこ 62歳)


ー2026年6月20日ー

はじめに

 

平成30年7月の西日本豪雨で真備町は水没してしまった。私が観ていたテレビ画面からは自衛隊に救出される被災者方々。救命ボートで自宅2階上の屋根から助け出される人。もしかしたら、テレビ画面に映し出された人は田方だったのかもしれない? 

|昔の顔ぶれ

津田「田方さんは “ぶどうのつる”でケアマネジャーをしてくれてますが、自己紹介をお願いします」

 

田方「田方です。ケアマネジャーの仕事をしています。 “ぶどうの家”さんにお世話になり始めて3年目になります。仕事の内容はケアマネジャーで変わりはないんですが、顔ぶれも昔に知った顔ばかりの所に来させていただいたので、あまり戸惑うこともなく仕事はさせてもらってます」

 

津田「昔の顔ぶれというのは、どういうこと?」

 

田方「前職場で働いていた職員ばかりの所に来させてもらったという事です。多田(次回40回登場)さんだけは、ここに来てからのお付き合いになります。そういう面では特異であると思います。で、ケアマネ以外の介護職にも前職で一緒だった職員が何人もおられるので、その辺りは職場は変わったけれど、0からじゃないので気が楽でした。ありがたかったです」

 

津田「確かにね。“ぶどうの家”は本当は、ケアマネの事業所は持ちたくないなあと思っててズーートやって来たんだけど、たまたま真備が平成30年の西日本豪雨で被災しました。

そのことが切っ掛けで町内の大きな施設なんだけど、そこが閉鎖をしますということになり、居宅も閉じますということになりました。で、真備のお年寄りたちが、相談する居宅が無くなると帰って来れなくなるのではないか? 

真備のお年寄りは帰りたい願望が強かったので、そういう人たちが真備に帰って来れるようにしたいなと思って。
それだったら居宅を
“ぶどうの家”が立ち上げて “ぶどうの家”でケアマネをやってもらって、 “帰りたい”と思っている人たちがちゃんと真備に帰って来れるようになったら良いなあ! と思って始めたんだよね」

 

田方「閉じた居宅の管理者と直前まで一緒に仕事をしていたので、変わりやすかったような気もします」

 

津田「3年前かあ?」

 

田方「だから、無いところから、状況も厳しいところで立ち上げられて、西澤(第6回登場)さんも大変だったろうなあ! とつくづく思います」

 

津田「そうよなあ! 何も無かったからね」

 

田方「私は、ある程度出来上がったところから来させてもらってるので」

 

津田「そうねえ! 無いところからバタバタと始めたけんね。凄い勢いだった」

 

田方「ケアマネジャーとしての西澤さんは知ってるけど、新しい居宅の管理者さんとしては初めてだから、周りの人に認知してもらえるように広めていく努力は大変だったろうなあ! と想像するだけですが尊敬します」

 

津田「ま、新しいことを始めるのは大変だもんね。でも、お陰でちゃんとね、真備に帰って来れた人もたくさんいるし、随分経ったけれど、初期の頃からずっと今でも続いてる人たちもいるので、皆のお陰でありがたいなあ! と思ってる」

|自衛隊に救助されて

田方「でもやっぱり、被災は真備の人には特別なので、何年経ってもあの時期になるとなんとなく体調が良くないと言われる方がおられるので、そこはやはり外せられないと思います」

 

津田「あまりにも強烈だったからね、あの体験は」

 

田方「なかなかね。何年経っても、花が好きだったけど花壇が流れたとか着物が流れてしまったとかいう話を聞くと……終わらないんだな、と」

 

津田「昨日まで普通に生活してて、ある日突然」

 

田方「一晩でねえ!」

 

津田「予兆はあったんかもしれんけど、まさか? という状況の中で突然に何もかもが無くなるっていう、もうあの体験はねえ…」

 

田方「ですよね」

 

津田「田方さんも被災してるんよね?」

 

田方「そうです。私も自衛隊組です」

 

 

津田「自衛隊組なんだ」(二人爆笑)


 

 

田方「避難をしてなかったので。私の家の周り、一軒以外は皆さん残ってたので、二階で過ごそうと思って! なかなか準備が出来ないですよね?」

 

津田「出来ないよ。そう言えば、田方さんがここに来る前に、田方さんが講演してくれたことがあるんよ。どこだったかな?」

 

田方「ケアカフェ。BRANCHですね」

 

津田「その時に、自衛隊の人に助けられて船に乗って行ってたら、いつもは上の方に見てる信号が船の直ぐ側の間近に見えたみたいな話をしてた。私もその映像が瞼に浮かんできてね」

 

田方「あれは本当に衝撃でした。船上から目と鼻の先に信号が!!」

 

津田「そうよなあ」

 

田方「未だに信号を見ると、あそこまで水が上がっていたということが信じられないですよ」

 

津田「そうだよなあ! だから、皆さんそうやって船に乗って避難したっていう体験だったんだ」

 

田方「そうなんですよ」

 

|真備から離れ難い

津田「でも今は、こうやって通常の日常が戻って来て、いろいろ辛い思いを抱えた人もイッパイいて、帰れてない人もいるけどね。でも、9割の人が帰って来てるんよ。
だから被災した地域で、それだけの人が帰って来るなんていうのはとても珍しいって」

 

田方「そうなんですか? へっ~!! 離れ難いんでしょうね」

 

津田「離れ難いんよね。そういう強い思いをあの時も皆さんから感じたもんなあ! だから私も、なにがなんでも “帰ってもらわんといけん”という風に思った。『もう真備は無理』と自分たちが思うんなら別だけど、『帰って来たい』と思ってる人、しかも高齢の人となると『帰って来たい』と思っても帰れないんよ」

 

田方「ですよね」

 

津田「そういうケースがイッパイあるじゃん。でもそれを、田方さんみたいなケアマネジャーさんたちが側に付いて『ああしたらどう? こうしたらどう?』って言って一緒に考えてくれたから帰って来れたっていう実情もたくさんあったと思うよ」

 

田方「どうなんですかね?」

 

津田「あのときに、真備の状況とかを知った人たちがサポートするのと、真備のことがあまり分からない外のケアマネさんがサポートするのでは結果が違って来たんじゃないかな? と思って」

 

田方「まあ、そう考えると、多少はあるかもしれないですね?」

 

津田「自分でもそうだけど、自分が外のケアマネで他所の地域の人の事をするときは、なかなか大変な状況の中に『帰ろうよ』とは言えないと思うんよね」

 

田方「そうですね」

 

津田「でも、皆がここにいたから『帰っておいで』っていう風に言えたんかなあ! とは思うんよな。だから、あんな大変な中でも、良くケアマネをやってくれたなあ! と思って」

 

田方「そうですね。今、振り返れば」

 

津田「田方さんたちも、真備の別な所でケアマネをやってたわけだからねえ。だって、自分も被災してるわけじゃん」

 

田方「でも、それは特別じゃなかったからね。皆がね」

 

津田「そうそう。皆が被災してるからな。それはあるね」

|被災者はそれぞれが異なる

田方「だけど、言われたことがあるんです。川辺で被災された一人暮らしの方なんですが、自宅はもう改修工事が出来ないからアパートに入られてます」

 

津田「復興住宅にね?」

 

田方「そうです。で、真備町外にいる娘がね、と。『 “お母さん、なにを言うとん。皆、被災したんじゃから一緒じゃろ” “お母さんだけが大変なんじゃなくて、皆が被災しとんじゃから同じじゃろう?” と娘は言うんだけど、皆が被災はしてるけど、私は主人も亡くして一人で頑張らんといけん。被災した中にはご主人もいて子供さんも一緒に住んでる人もいるし、その人たちと私では違うんよ』って言われたときに『あっ!! そうじゃなあ!』と思って。被災はしてるけど、被災下でどう頑張ってるか? 事情はそれぞれ違うから『娘には腹が立つんよ』と」

 

津田「皆が被災してるってザックリはなあ?」

 

田方「一緒じゃないんですよ。被災に関わらず、皆それぞれに生活事情は異なりますから」

 

津田「そりゃ、そうよな」

 

 

田方「娘さんも悪気があって言ったわけじゃないんですよ。理解はできるんです」


 

 

津田「『頑張れ!!』っていう意味だよね。なかなかさあ、そういう言葉って言いにくいよね。利用者さんにしたら。周りも被災してる、皆も被災してる中で『皆が一緒じゃないんよ!!』って言うのって、言いにくい心境もあったろうな? って思う」

 

田方「思います。確かに!」

 

津田「そう思うけど、でもそれを田方さんに自分の思いをぶつけられたというか? 吐露できたというのは田方さんとの関係性が凄い出来てたんだなあ! と、今聞いてて思った」

 

田方「まあ、関係に間がない頃だったんですけどね。でも、あの言葉? 雄叫び? ある意味、私のお宝になってます」

 

津田「そうなんじゃ。利用者さんとは出会いや別れがあるけど、ピンポイントで “あっ!! あの人”とか “あっ!! あの言葉”とかっていうのが残ってるよな。ところで、田方さんはいつからケアマネ?」

|ケアマネジャーへの道のり


田方「私はね、介護とは縁のない仕事をしてました」

 

津田「保育じゃったよな?」

 

田方「保育です。で、事業所が急に閉鎖になって」(苦笑い)

 

津田「えっ!! そこも?」

 

田方「真備の病院の院内保育に行ってたんですが、センターの方針で急に閉鎖が決まったんですよ。リストラではないですが、部署移動を告げられました。
栄養補助や介護助手に。保育から。1月に告げられ3月に閉めると。『ええっ!!』ですよ。次に4月から入る子供さんも決まってたのに」

 

津田「決まってたん!! それはちょっとなあ!?」

 

田方「『酷い所じゃなあ! って皆で泣いたり笑ったりの時期があって、で、どうしようかなあ? って考えたときに、介護助手をして7月のボーナスを貰ったら辞めよう。ぐらいな勢いでした。

ただ、介護助手で行ったときにヘルパーの資格も持ってませんでした。偶々、ヘルパーの資格がない職員さんがいて『じゃあ、一緒にヘルパーの資格を取ろう』ということになりました。

で、ヘルパーの資格を取得してから、段々に認知症の人と関わるようになり始めたんですが、認知症の方に接するのは初めて。車椅子を押すのも初めて。『どうしようかな?』と思い悩んでたんですが、先輩の職員さんが凄く良くしてくださって、認知症の方と話すのがなんでこんなに楽しんだろう? って思い始めたんです」

 

津田「分かるよ。田方さん、楽しいと思ったんだろうなっていうのが」

 

田方「本当に『エエエッ!!』 っていうほど楽しかったんですよ。大変なこともあったけど、そこは皆で協力しながらでした。で、人と関わるのは楽しいな。となったんですが、子供からお年寄りにへ移行しただけでした」(二人爆笑)

 

津田「面白いなあ!」

 

田方「で、この頃、介護福祉士を取ろうか? っていう人が何人かいて、私も勢いに便乗して取りました。資格を取ると、なぜか福祉の仕事の面白さに気付き始めて、その頃、3年勤めたらケアマネの資格にチャレンジできる頃だったんでケアマネの資格も取りました。で、将来のことを考えて夜勤とかもしてたんですけど、定年まで介護職は体がシンドイじゃろうな? と思って、途中からケアマネの仕事もやるようになったのがケアマネの始まりでした」

 

津田「へーーーーーーえ!! 凄いなあ! 自分で選んではいるけど…」

 

田方「選んではいるけど、最初は全く考えてはいませんでした」

 

津田「所属した組織の都合で振り回されながらね」

 

田方「だけど結局、今も続いているので…なんか、言い方ひとつで認知症の方が笑顔になったり、お風呂なんかも今ならセクハラで訴えられるんじゃないか? みたいなことを言いながらやってました。

面白かったのが、凄いお洒落なお婆ちゃんがいて、お風呂が嫌いな方でした。だけど、家の人は『絶対に風呂に入れてくれえ』と。お婆ちゃんは頑なに座ったまま動きません。

そこに男性職員が甘えた声で『花ちゃん、ボクと一緒に行こうや』って言うと風呂場まで行って、『花ちゃん、チョットお尻が見たいなあ』とか言ったら『えええええー! だけど、あんたの為なら仕方ないよなあ! 私、脱ぐ』とかね。なんか、面白いことがイッパイあったんです」

 

@田方が甘えた声を出しながらも、手振りも混じえて説明する

 

 

津田「ギャハハハ 今ならどうなん?」(津田 田方 大爆笑)

 

田方「今ならどうなん? みたいなところはあるけど」

 

津田「何十年も前ね」

 

田方「でも、声掛け一つで、あんなに拒否していた人がお風呂入ってくれたりご飯食べてくれたりしてくれるのは、やはり、させるのではなくて上手な持って行き方。そんなやり取りが楽しくてですね」

|ケアマネジャーとして

津田「そういう風に人と関わってやっていくのが性に合ってるんじゃな。そういう視点があるからケアマネージャーになっても、それが生かされてるんよな。田方さんは保育士さんをやっててもケアマネをやってても、先の被災者さんの言った『皆が一緒じゃない。私は私なりにシンドイことがあるんよ』の言葉を真摯に受け止められる田方さんっていうのはこれからもズット変わらんのじゃろうなって思うんよ」

 

田方「ま、そこは大事にしたいなあ! とは思いますね」

 

津田「私、お医者さんとケアマネさんは、ちゃんと選ばんと人生が変わると思うんよな」

 

田方「お医者さん。そうですね。でも、なかなか選び難いですよね? ケアマネを選ぶという選択肢もあまりないですよね」

 

津田「ないんよ」

 

田方「お医者さんは大きな病院だとある程度は?」

 

津田「ケアマネさんは人によって、やはりそれぞれのスタイルがあるじゃない」

 

 

田方「ですです。あります」

 

津田「そういうのって分からないじゃない? 介護保険を利用する側の人にとったら。だから、一回付いたケアマネさんが、もう全てになるんよ」

 

 

田方「あっ!! ですよね」


 

 

津田「でも、もしかしたら自分とスタイルが合わないかもしれない。ってなったら、どうなんだろうな? と思って。ただ、それは凄く良いことでもあるんよ。良いことでもあるんだけど、強い人は『合わん。ケアマネ変えてくれ』って言ったりもするけど、普通、あまり言えんよな?」

 

田方「言えないですよ。よっぽどの事がないとね」

 

津田「それはケアマネさんだけじゃなくて、私たちみたいなサービスもそうだけど『本当にこの人は私で良いんかなあ?』って。
『ここを利用してもらって良いんかなあ?』っていうのは、普段から思っておかんとダメだなあ! って思うし、もしかして私じゃない人がこの人のケアをしたら違う方法があるかもしれんなあ! って。
だから、この人にとって一番良いっていうのはなんだろうなあ? っていうのは結構思う。私がね」

 

田方「でもまあ、チームのところがあるから、そういうところは『この人だから』とか『あの人がいるから』ってことにはならないと思うので…」

 

津田「チームは大事よな」

 

田方「ケアマネも一人でする仕事ではあるけれど、ここも皆といろいろ話ができるので、それはやはり有難いです。前の職場でも思ったんですが、担当として個人の名前は出るけれど、担当してるのはあくまでも事業所なので、そこは一人だけっていう風に思わないようにしています」

 

津田「大事よな、その感覚」

 

田方「一人が持ってるわけじゃないので、事業所で」

 

津田「それを、“ぶどうのつる”の中ではそれが出来てるけど、ちょっとずつ広げたいなあ! と思って。 “ぶどうの家”のグループ全体の中でも考えられたら良いなあ! って。いろんな視点から皆で考えられる。そういう下地ができることはとても素晴らしい」

 

田方「でも、小多機では皆さん、そういう感覚の方が強いんじゃないですか?」

 

津田「それこそチームでじゃないと、やり切れんけんな。でも、だからそのチームの中でこうなってしまう」

@津田が両手先を内側へ向ける

 

田方「はいはい。分かります」

 

津田「チームで内に籠ったらチームの中は良いんだけど、それ以上にはならない。やはり広い視点があった方が良いんじゃないかなあって思うし、逆に居宅の人はチームはチームなんだけど異なるチーム。チームでやってる小規模のケアマネさんから見ると、『現場の人はこういう目線かもしれんよ』。そういう考えも出てくるかもしれんし、じゃけんお互いに良いところ悪いところがあるから、それがガチっといけば凄く良いなあ! と思う。きっと皆で、今まで積んできた経験とかを出し合えたら凄く良い場になるんじゃないかなあ! と思ってるんよね」

 

田方「ベテランが多いので」

 

津田「それっ! それそれそれっ!」(二人爆笑)

 

田方「安心感です」

 

津田「そしたら若い子が入ってきてもさあ、教えてあげられるよな。今、良い時期に来てるからなあ」

 

田方「そうですね。若手に来て欲しいですね」

 

津田「若い人、大募集ということですね」

 

田方「大募集です。ケアマネも平均年齢がかなり高いので」(二人 大爆笑)

 

津田「それはもう、何年も経ったらねえ! 10年前とは違うからねえ。じゃあ、田方さんから私や会社に要望とか注文なんかあれば?」

 

田方「特に、あまり考えたことがないので。そうそう。土師邸に事業所があります、っていうのはかなり浸透してきたとは思います。が、土師邸っていう名前は理解してるけど、『何してる所?』みたいなところはまだまだありますね」

 

津田「それって、どう浸透させれば良いと思う?」

 

田方「新規で訪問に伺ったとき『私、オープニングのときに行ったんですよ』って言われた方も何人かおられます。そういうイベント事には来られてる人も多いみたいですよ。『野菜も時々買うんですよ』って人も」

 

津田「マルシェね。段々とね、このジワジワ感が良いなと私は思ってて、ドーンとやるよりジワジワの方が強いかな? って思うから、マルシェも凄く良いと思ってる。これからマルシェにも良い季節になるからお互い頑張りましょう。今日はありがとうございました」

 

田方「ありがとうございました」

@ここで一段落したのだけれど

 

野田⇨田方「スミマセン。ところで、冒頭の辺りで出てきた自衛隊組ってなんですか?」

 

津田「ギャハハハハー。それは分からんよな」

 

田方「自衛隊組っていうのはね、被災をしたときに『嗚呼!! これは避難しないとダメだ』と思って直ぐに行動した人は小学校とかに向かったんです。でも『2階で過ごせばなんとかなるよ』って思った人は皆、家に残ってたんですよ。

だけど、段々に2階までの階段も水で覆われてきて、挙句、屋根に上がることになって。そこへ、自衛隊の人たちがボートで救援に来てくれたんです。そうやって救助された人たちが自衛隊組です」

 

|終わりに

真摯な表情で「自衛隊の人たちは本当に優しかった」。田方のこの言葉がとても印象に残っている。