ー2025年2月28日ー
はじめに
小林は、2018年7月の西日本集中豪雨で真備町が甚大な被害を受けたときの被災者の一人。
対談では、被災の件も出てくるので、yahooのAIアシスタントから簡単な情報を得た。
真備町では、高梁川水系の高馬川と小田川の堤防が決壊し、大量の水が住宅街に流れ込みました。
町のおよそ3割が水没し、多くの家屋が全半壊しました。特に真備町では、死者52人のうち51人が真備町在住で、その約80%が70代以上の高齢者でした。
津田「よろしくお願いします」
小林「こちらこそよろしくお願いします」
野田→小林「あっ!! 申し訳ないです。マスクを外してもらえると助かります。写真も撮りますから」
小林「えっ!! マスク外すんですか? 先に言ってくれてたら微調整してたのにー」(3人で大爆笑)
野田「事務所で何度かお会いしてますけど、いつもマスクを着用されてるので分かりませんでした」
津田「じゃあ、始めます。小林さんは何歳?」
小林「43歳です」
津田「本当! 若く見えます」
小林「ありがとうございます。嬉しい!」(弾けるほどに大爆笑する小林)
津田「子供さんは?」
小林「3人です。13歳・10歳・5歳。中1・小4・年中です」
津田「下がちょっと離れてるんな」
小林「中学・小学校・幼稚園です。だから毎月、休みを取るのに苦労します。参観日やらいろいろと目まぐるしいんですよ」
津田「結局、休みの方が忙しかったりするんよな」
小林「そうなんです」
津田「男の子、女の子?」
小林「女・男・男です」
津田「わー、楽しそう」
小林「大変です。段々に活発になりますから」
津田「もう、スポーツとかやってるん?」
小林「スポーツはしてませんが、今、ドッジボールが好きみたいです。お姉ちゃんは部活をやってます」
津田「部活は何?」
小林「テニスです」
津田「それも大変ね。いっぱい試合があって」
小林「そうなんですけどね。でも、うちの子はあまり強くないから、皆で行くときは出向きますが、強い人だけのときはお留守番です」
津田「そうかー。地区はどの辺り?」
小林「真備です。××の裏の中学校です」
津田「ああっ!! あそこ!」
小林「あそこに行ってて…」
津田「そうなんじゃ! じゃあ、被災もしたの?」
小林「被災しました」
津田「実家は?」
小林「実家は総社なんで被災はしてません。被災後、新しく建てた家が出来るまで実家で暮らしてたんです。以前の家は2階まで水が来てしまい本当に大変でした」
津田「そうよなー。あの辺だったら2階まで来たよなあ!」
小林「お姉ちゃんは幼稚園に通ってたんですが、皆、クラス全員が消えたというか? 真備からいなくなったんです。で、通園が大変でした。1年生に上がってバス通学になって、それも時間を合わせてとか、あれやこれや大変なことばかりでした。もう、二度とやりたくないです」
津田「皆、遠くにね」
小林「早くからバスで、7時過ぎのバスとかで…大変だった」
津田「6時頃から出てる子もいたから」
小林「早い子はそうでした。ルートが決まってるから。だから、働いてるお母さんは大変だなあ! って」
津田「凄い大変だったと思う。子供等は皆、眠そうで」
@辛い過去を振り返りながらも、それを懐かしむかのように二人は笑いながら会話を続ける。
小林「学校も間借りしてました。なので、参観日なんかは被らないようにとか、時間をずらして迎に行くとか。いろんな、そういう所で調整があるから、それも負担になりましたね」
津田「そうそう。皆、本当に凄く頑張ったよな、あのとき」
小林「今はもう、ゴミは無いけど、以前は道路とかのゴミが凄かった。でも、それが無くなって『ここ、被災したんよな?』って疑いたくなるほどキレイになってます。
数年前まで残ってましたから。末っ子は被災した後に生まれたんで、そんな事情を知りません。
真ん中の子は3歳だったんですけど、大変だったことをあまり覚えてないんですよ」
津田「お姉ちゃんは覚えてるよな?」
小林「お姉ちゃんは幼稚園だったんですが、今、プールとかは怖いって言いますね」
津田「じゃあ、水が来るより前に避難はしてたん?」
小林「“爆発”があったじゃないですか。あれでちょっと! 最初は『えっ! 逃げるの?』って感じだったんですけどね、初めてだし。
でも、爆発もあったから逃げたんですよ。だけど、イッパイで…真備の体育館があるじゃないですか。
あそこに逃げようと思って向かったんです。でも、車が動かなくって、2時間ほど待ったんですがね…で、Uターンして船穂の愛宕山の所に駐車場があるんですけど、トイレもあって、そこで一泊しながら待機したんです」
@“爆発”についてWEB産業新聞より
アサヒセイレン子会社の朝日アルミ産業(岡山市総社市下原1430ー1)において6日午後11時35分ころ、浸水による爆発事故が起き、付近の民家で火災が発生したほか、爆風で窓ガラスが割れるなどで住民十数人が軽傷を負った。
6日から7日にかけて西日本各地を襲った記録的豪雨により、岡山県倉敷市真備町では高梁川の氾濫により地域一帯が浸水するなど、深刻な被害を受けた。朝日アルミ産業の工場は高梁川の西岸に位置し、真備町からは数百メートルと近い。
津田「よく思いついたね、愛宕山を」
小林「でももう、下りてきたときは中之町あたりは水が来てたんですよ」
津田「来てたん!!」
小林「で、マービーふれあいセンターの方にも逃げたんですけど、そっちも末政川から水が来てて身動きが取れんかったんですよ。で、南に抜けるしかないなあ! と思い…」
津田「ギリギリだったんだ?」
小林「ギリギリでした。マービーとかで待ってたら死んでいたかも?」
津田「危なかったねえ! 小さい子供を抱えて。無事で良かった!」
小林「本当に危なかったです」
津田「私も、真備(小多機)が被災して…」
小林「屋根まで来ました?」
津田「来た来た来たよー、事業所はね。で、しばらくしたら真備から色が消えたんよな」
小林「皆がいなくなるから?」
津田「人はいなくなるし、全てに土が被って泥も被ってるから、周囲全部が白かったじゃん、乾いて。本当なら赤い物が、その上に泥が被ってるから赤が赤じゃないっていうか? 霞んだような? 全体が白くなってて『真備から色が消えた』って。でも、その頃、小林さんは真備にいなかった?」
小林「真備は片付けとかで来てました。信号も動いておらず、実家まで本来なら10分くらいなんですけど、当時は2時間ほどかかってました。凄く混んでて」
津田「スタッフが船穂から真備に来てくれるにも、何時間もかかった」
小林「『もうちょっとの所なのに、なんで?』って感じでした。で、北陸の能登なんかも大変ですよね。地震や豪雨で短期間で何度も」
津田「ホント、大変よね。だから、出来ることがあったらなあ?」
小林「近くであればね、ボランティアとか行きたいなとは思ってるんです。でも、県外だと無理かなあ? とか…」
津田「気持ちはあるよね」
小林「あるある。片付けでは何人ものボランティアさんにお世話になりましたから。子供が大きくなったら、起きて欲しくはないけれど、近くでそんな災害が起きればボランティアで出向きたいな! とは常々思ってるんです」
津田「そりゃあそうよね。経験したからこそな。でも、そうだったんですね。初めて知りました」
小林「そうなんです。でも、梅雨の季節になるとドキドキが始まるんです。ソワソワと言うか? 『何もなければ良いなあ!』って思います。天気図で前線が出たら『早く消えれば良いなあ!』って」
津田「思うよね。まあ、なかなかね、出来ん体験をさせてもらいました」
小林「本当です。もう、被災に遭いたくない。また遭ったら、精神的にメチャクチャ凹みます」
津田「折れるよな」
小林「はい。心が折れます」
津田「でも、能登の人とか凄いよな。復興しかけたときに、また水が。あれは本当に…」
小林「言葉になりませんね」
津田「そんな小林さんが “ぶどうの家”に来てくれたのは何年前ですか?」
小林「令和4年でした。真ん中の子は小学校へ上がってました。下の子はちっちゃかったんですが、『保育園へ入れたいな』という思いがありました。で、ハローワークへ行ったんですが、その下に保育園の課があったので聞いてみたら、今は空きがないとのことだったんです。となると『もう働けんな』と。その後、何回もハローワークに行っているうちに “託児所付き”っていうのがあったので『とりあえず電話してみよう』。そこからです」
津田「良くぞ問い合わせてくれました」
小林「空いてて良かったです。直ぐにいっぱいになっちゃうんで!」
津田「ここも、直ぐにいっぱいになっちゃうんだけど、凄く良いタイミングでね。で、今は子供さんたちも大きくなって。だから、随分と長く働いてくれてるな、とは思ってたんよ」
小林「そうですか? ありがとうございます」
津田「かれこれ3年くらいかな? もう、随分と慣れたよな。いろんなことが分かってきましたか?」
小林「分かるんですけど、突然来るのがあったりして『こういうのもあるんですね』みたいな! 申請とかも、改めて『こういうのもあるんですね』とか。それぞれ、いろいろ異なるし、同じように見えて若干違うというのもあるから」
津田「奥野(事務長)さんにも言ってるけど、事務の人って肝というか? “ぶどうの家”の運営の肝になる部分で、全部の事業のことを知って、そこに横串させるような位置になってないとダメだから、本当に全てを網羅しながら大変だとは思うんよね。でも、そこまではね?」
小林「そこまでは、ちょっと? とりあえず、目の前の仕事を捌いてます」
津田「そんな中で、会計のことを中心に?」
小林「そうですね。会計を中心にやりつつ、チョコチョコ障害の請求が来たら対応してます」
津田「今、働き方としては?」
小林「働き方は、幼稚園に預かりをしてるんでその間に。平日は参観日とか行事に行ってあげないといけない日もあるので、そんな日は休ませてもらってます。で、休みも、取りやすいというか融通してもらえてるし有難いです」
津田「ここは、その辺りは協力的よね」
小林「はい、その通りです」
津田「働くお母さんとか、親を介護をしてる人たちにとっては働きやすい職場だよね」
小林「皆で支え合ってる」
津田「そうそう。この会社の風土がそうだから」
小林「ですね」
津田「なるほど。じゃあ今は、週に何日くらい?」
小林「4、5日くらいは出てると思います」
津田「日に何時間くらい?」
小林「6時間」
津田「それは良いペースだね。じゃあ、ちょっとずつ生活スタイルが変わっていって、大丈夫だとなったら正社員とか短時間正社員とか……」
小林「そうですね。ちょっと家のことも考えて、出来そうであれば、ですね」
津田「いろいろとチャレンジをしてもらえたら良いかな? と思います。いつも事務所で明るくしてくれて雰囲気もとても良くて、是非是非その元気とパワーで継続してもらえれば嬉しいです」
小林「いえいえ、とんでもないですー」
津田「じゃあ、私に注文とか言いたい事とかはあるかなあ?」
小林「今? 特にありません」
津田「困ってることはないですか?」
小林「特には、ないです」
津田「ま、困ったりとか、問題だな! と思ったりすることがあれば、どんどん提案してもらって皆で改善していけたら良いな! と思ってるので、もし、そんな気付きがあれば奥野さんを通じてでも良いんでどんどん声にしてください。じゃあ、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします」
小林「私の方こそ、今後ともよろしくお願い申しあげます」(二人で大爆笑)
良く笑う人だなあ! とても印象的だった。詳細には記さなかったが、対談中、爆笑・大爆笑の連続。
小林が、被災後の艱難辛苦を乗り越えられた大きな一因 のようにも思えた。“笑う門には福来る”。