[第7回]

住宅型有料老人ホームぶどうの家花帽子       介護職員・瀧本章彦(41歳)


ー2025年7月15日ー

はじめに

 

瀧本は身体障害者手帳5級。
とはいえ、昨年は頑張って介護福祉士試験に合格し今では国家資格を持つ介護職員となった。

この経緯については後述するが、なかなかユニークな中年男性でもある。

瀧本と私は
Facebook繋がりという前提もあり、失礼を承知で多方面に質問してみた。で、改めて記す必要はないかもしれないが瀧本の滑舌はあまり良くない。
つまり、文面上のようにスムーズにインタビュー(ふかぼり)が進んでいったわけではない事を先ずはお知らせしておきたい。

野田⇨瀧本「時間になりました。始めたいと思います。瀧本さんよろしくお願いします」

 

瀧本「よろしくお願いします(声が大きく元気いっぱい)」

 

野田⇨瀧本「調子スコブル良いじゃないですかー(3人大笑い)」

 

津田「早口言葉から始めるのも良いね」

 

瀧本「それも良いですね」

 

津田「でもなあ? 最初の頃より言葉がどんどん上手になってるような気がするんだけど?」

 

瀧本「ありがとうございます。だけど、頭に浮かんだ言葉がスムーズに声として出ないんですよ」

 

津田「それは歳のせいかな? 幾つになったの?」

 

瀧本「今年で41になりました」

 

津田「41歳。もう逆らえないモノがありますね!」

 

瀧本「逆らえないモノ? 歳とともに? でも僕は、40歳になったら下り坂に入る予感と不安があったんですが、今、なんだか上り坂に入ってるような気がしてならないんですけど? 勘違いかなあ?」

 

津田「だから、最初に会った頃と比較したら、どんどん出来ることも増えてるし、喋るのも上手になってる気がする」

 

瀧本「どう言えば良いんですかねえ? 上向きだとは思うんです。だけど、それは身体だけで頭の中身の方は下降気味のような? よう分からないんです。言葉の方は、土井さんにも『どうやったら上手に喋られようになるんですか』って聞きました」

 

津田「言語療法士の土井さんが今年から来てくれたからなあ! で、なんてアドバイスしてくれた?」


瀧本「やっぱ、早口言葉をするように指導を受けました」

 

津田「じゃあ、早口言葉を頑張ってくださいね。」               

 

津田「タッキー(瀧本の愛称)がここに来たのは何年前になる?」

 

瀧本「14年前です」

 

津田「14年前かあ! 若かったねえ! お互いに」

 

瀧本「28歳か29歳だったと記憶しています」

 

津田「それ以前はA型の作業所にいたんかな? その後、ここで働きたいと。勇気がいったよなあ?」

 

瀧本「勇気は必要なかったです」

 

津田「でも、凄いよ。持ち前のキャラクターというか? 明るさというか? 」

 

瀧本「そうなんですか? 言われると調子に乗ってしまうタイプですから僕(皆で爆笑)」



津田「確かに、それは“あるある”だよなあ!」

 

瀧本「自分の考えが今までは無かったなあ! と思ってます。自分で“ああしよう こうしよう”っていうのは無かったですから。そこが足りないんです」

 

津田「でも最近は、やりたい事が広がってきてるようにも見えるけど?」

 

瀧本「そうなんですか? だけど、自分では何をやりたいか? 分からないんです」

 

津田「交友関係も凄く広がってるみたいだし。お祭りで法螺貝も吹いてくれるでしょ。山伏だったかなあ? そういう修行もしてるん?」

 

瀧本「修行はしてません。頼まれたら行くだけです」

 

津田「あれは資格が必要なの?」

 

瀧本「要りません」

 

 

津田「“ぶどうの家”に来て、私がタッキーのことを凄いと思うのは、先ずは明るい。挨拶ができる。へこたれない。でも、ちょっとサボる。っていうところかな? どうでしょうか?」

 

瀧本「ハイ。でも、自分の長所が分かりません。」

 

津田「短所は?」

 

瀧本「イッパイあります」

 

津田「例えば?」

 

瀧本「心で思っていることと、言うことが違ってることが……」

 

津田「ほー!! じゃあ『津田さん今日はキレイですねえ!』つて言ってくれたときはキレイじゃないっていうこと?」

 

 

@瀧本は笑ってばかり。笑って誤魔化すしかないようだ。

 

瀧本「他の短所は、嫌なことは忘れる」

 

津田「えっ! 嫌なことは忘れるというのは長所でしょ? でも、振り返らず、反省せず、失敗が自分の糧にならないとしたら短所だね」

 

瀧本「失敗が糧にならない? パット交換は上手になりたいと思いますね。最近、かなり出来るようになりました」

 

津田「それ、凄いと思うんよ。皆がタッキーに介護福祉士を取ったら、と言ったところから自分で勉強して、初任者研修も受けて介護福祉士を取得。本当に凄いよ」

 

瀧本「ありがとうございます。でも、実は絶対に落ちると思ってました。10年前にも落ちてますから。何も分からないところから始めて、あと5点が足らずに落ちたんです。今回は79点でなんとかセーフでした」

 

 

野田⇨瀧本「Facebook繋がりなんで言葉を選ばず言わせてもらえば、今回は運が良かった」

 

瀧本「ハイ。正直、受かるとは思ってませんでした。自己採点したときに68点だったんで覚悟は決めてました。なんでビックリ仰天です」

 

津田「でも、嬉しかったんよな。『合格しました』って電話くれたもんな」

 

瀧本「嬉しかったです。『今回受からんかったらクビにする』って武田(総合施設長)さんから言われてましたから」(津田は爆笑)

 

津田「よう受かったよなあ! ここで一踏ん張りしよう。そんな風に覚悟を決めてたんじゃ?」

 

瀧本「何を言われるか分かりませんからね、武田さんに」

 

 

 

@過去と現在。いろいろな感情が溢れ出てきたのか? 瀧本の瞼から涙が溢れ始めた。

 

津田「頑張りましたなあ!」(爆笑)

 

野田⇨瀧本「その落ちる涙は嬉し涙でしょうか?」

 

瀧本「分かりません」

 

津田「こんな時も、心と裏腹なことを言うからな」

 

野田「そうなんですか、裏表ある人なんですね(瀧本も含め3人爆笑)。大人になると、戦術・戦略も考えないと。いろいろ人間関係が複雑怪奇になるし?」

 

瀧本「戦術・戦略?」

 

野田「こっちの人には良い面して、あっちの人にも同様なことを言い。女性関係は特に!」

 

瀧本「そりゃあ、ないなあ!」

 

野田「そうそう、思い出した。オレが“ぶどうの家”の利用者さんの写真ばかりを撮ってる頃、Oさんの部屋で。かなりゴミ部屋みたいになってて、そこを綺麗に片付けてたよなあ! あれ、Oさんから瀧本さんをご指名。それでオレが瀧本さんを呼びにいって。トイレもピカピカにしてたもんなあ! ビックリしたよ。お年寄りには裏表ないね」

 

 

 

 

@瀧本の目から涙は継続している。

 

野田「その涙、嘘泣き?」

 

瀧本「本泣きです。でも、なんでなんでしょうね。涙が止まらないのは?」

 

津田「頑張ったもんなあ! 本当に」

 

野田「そりゃあ、頑張らないと受からないでしょう? 国家資格ですよ。基本的に14年間の頑張りもあったし」

 

瀧本「実務者研修は確かに頑張りました。レポート提出は大変でした。費用も払ってもらってますから」

 

津田「プレッシャーもあったよな?」

 

瀧本「メッチャありましたよ。でも、いろいろ出来るようになりました。もっと早くからやっておけば良かったんですけれど? こんな簡単なことを! とも思ったりして。体力も付いた気がします。ボクシングジムに通うようにしてますから」

 

津田「出来ないと最初から思ってて、自分にはこんな障害があるからとかね」

 

瀧本「それは思ってました」

津田「でも、ここに来たら厳しかったんよな皆。タッキー、これやってあれやってって。多少は手伝うけどね。タッキーに障害があるからというより、タッキー自身を頼りにしたりとか」

 

瀧本「どんどん積極的にやっておけば、とは思いました」

 

津田「でもそれは、タッキーなら出来るという風に皆が思ってたから頼むんだよ」

 

瀧本「だから、パット交換なんかもドンドンやっておけば良かったなあ! と」

 

野田⇨瀧本「それは、パット交換を率先して積極的にやっておけば良かったという意味ですか?」

 

瀧本「そうなんです」

 

野田「やらんかったんじゃ。なんで?」

 

瀧本「出来ないと思ってたんです」

 

津田「完全に逃げとったな」



@さて、ここで野田明宏の個人的な葛藤から芽生えた質問を瀧本にする。

 

で、その前に、なぜ? 私が瀧本にわざわざ質問をするのかを認めたい。

 

津田は隣でエッ? なんで? みたいな表情をしていたが、個々によって大事の意味は異なると確信しているから。

私が初めて下の世話をしたのは父の介護のとき。岡山市民病院の一室だった。
母が全てを引き受けていたが、その夜、あまりにも辛そうなので引き上げてもらった。
私が父を引き受けた。午後9時頃。父は水溶便をベッド上に流した。看護師は呼ばなかった。

私は初体験だったから30分ほどを要した。父とは関係が良くなかったので、始末最中に手をあげた。
父は泣いていた。認知症の母を10年間、在宅介護した。当然だけれど、下の世話は毎日だ。

壁や襖に自身の便を擦りつけたとき、私は母に手を上げた。父にも母にも手を上げたのは一回切りではない。
職業としても4年半、介護施設で働いた。
夜勤、一人で20人以上を見守ったこともあったが、定時のオムツ交換は嫌だった。
もちろん、職場で手を上げるなどということはなかったけれどオムツ交換はストレスだった。

便。ウンコに私は耐性がないのだ。
で、思うに、今の若い人たちといえば生まれ落ちたときから便とはあまり親しくしてないはず。
赤ちゃんは別として、もの心ついたときから洋式便所。自分意外の便と触れることもないはず。

一般的には。そんな世代にとって、他人の便処理などできるのだろうか? 

それをしても、超スコブルでストレスにならないのだろうか? 私、個人的には、介護に接する世界で人手不足が顕著なのにはこんな経緯があるのでは? と、以前から黙考してきた。


全く個人的な話で横道に逸れた感は否めないのだけれど、これを起点とした質問を瀧本にぶつけてみた。

野田⇨瀧本
「オムツ交換以前に、お年寄りの便そのものに抵抗は無かったですか?」

 

瀧本「それはないですね。それはないですね、本当に! それは全然ないです」

 

野田「全くない? 自然とそのまま踏み込めた?」

 

瀧本「そういう事を想像・考えたことはありません。ここに就職する以前から抵抗はありませんでした。

昔、子供の頃の僕は祖母の畑仕事を手伝うことが日常でした。大田舎ということもありましたが、トイレからというか? 

ポットン便所から肥を採って担いで畑に行きそれを蒔く。日々それなので、便に違和感は全くありません。

野壺もアチコチにあり、落ちる子も珍しくなかったですから。ただ、パット交換については、パットを素早く交換しないといけない。ということばかりを考えてました。利用者さんに負担を掛けられませんし、その利用者さんに合った介護をしなければならないと思ってたんで自分に出来るのか? 

実践すれば良かったんですが悩むばかりでした。実践してみて、早く行動に移しておけば……ですね」


津田「ところでタッキーは支援学校とかに行った?」

 

瀧本「いえいえ。僕は定時制の高校に通いました。その後、岡山県が委託している会社に入植しました。簡単に言えば、障害者の人を雇用するために、県が助成金を出している会社だったと思います。その制度を使って、僕は給料をもらいながら学びもしました。事務作業とか農場にも出向きました。1年間いろいろでした。車を運転して岡山へ通勤してました。1ヶ月に1回オイル交換してましたから。そこからA型作業所です」

 

津田「話は変わるけど、タッキーは目標とする人はいる?」

 

瀧本「武田(総合施設長)さんは凄いなーと思いますよ。」

 

津田「武田さんのどこが凄いの?」

 

瀧本「いろんな知識を持ってて、いろいろ教えてもらいます」

 

津田「じゃあタッキー、ここでやりたいこと。目標とかあるのかな?」

 

瀧本「いろいろ考えるんですけど、これは! というのはまだ浮かびません。強いて言えば、プライベートですけど結婚できるかなあ?」

 

津田「そっちか?」

 

瀧本「はい。一番にそっちを考えてます」

 

津田「実家を出て、独り暮らしをするのもいいね」

 

瀧本「それも考えています。古民家をリフォームして。周囲からはリフォームが時代の流れ、みたいに言われます。新築は無理ですから」

 

津田「タッキーみたいな生き方を、目標にする障害を持つ人は出てくるかもしれないね? 障害を持ちながら独立して生きる。タッキーは今、障害があるからダメだとか、障害があるから出来ないとか、っていうところを乗り越えてきてるんよね?」

瀧本「いやいや、僕はそういうことをほとんど考えたことがないんです。ハッキリ言って」

 

津田「そうそう。それがタッキーの良いところなんだけど、それを逃げる材料に使ったときもあったでしょ」

 

瀧本「逃げる?」

 

津田「僕、障害があるから出来ません。とかって、逃げるときもあった。でも今、それを乗り越えた。介護福祉士も取得して、オムツ交換もできる。で、そういう姿勢があるから周囲の人も『タッキー手伝うよ』となるんだと思う。善循環だね。そこは凄いよ」

 

瀧本「凄いですか? うーむ 兎に角、お金が欲しいです」

 

津田「介護福祉士だから今度からお給料上がるじゃない」

 

野田⇨瀧本「瀧本さんはこれからも“ぶどうの家”でお世話になっていく予定? それとも家をリフォームして独立のようなことも視野に入れてるわけ?」

 

瀧本「行政書士にチャレンジしたいと」

 

 

 

 

@意味不明な言語が飛び出した。
ここから、ああだこうだがあり、ケアマネジャーに挑戦するのも未来へ繋がるという会話になるのだけれど。

 

津田「行政書士とか宅建に挑戦するのも良いんだけど、ケアマネを取ってくれたら嬉しいなあ!」

 

瀧本「どんな仕事か良く分からないし? ちょっとなあ!」

 

津田「またまたそうやって逃げる。介護福祉士を取ってケアマネジャーを取得する。介護福祉士の延長線みたいなところもあるし、今のタッキーが目指すには最適だと思うけどなあ!」

 

瀧本「なんで、家族と介護員の間にケアマネが必要なんですか?」

 

津田「それは介護保険制度を使うから。ケアマネがプランを建てて給付管理をするからサービスが使える。でも、ケアマネの本当の仕事はそうじゃないと思ってるので」

 

瀧本「家族の人が、こういう介護をして下さいと言ったら、そのままそのようにしたら良いと僕は思いますけどね」

 

津田「ダメダメ。ダメじゃん。家族が例えば、『この人の介護が大変だから直ぐに施設に入れてください』。と言ったら、タッキーは施設に入れるわけ?」

 

瀧本「入れませんね」

 

津田「そうじゃろ。ダメじゃん。言うことを聞いちゃあいけんが! 家族の悩み事とかを一緒に解決して、お爺ちゃんやお婆ちゃんが、どうしたらより良い生活を迎えられるか? を思考するのがケアマネじゃん。皆がチーム」

 

瀧本「レスパイト」

 

津田「レスパイトも必要だけど、レスパイトにもいろいろ。『大変だから泊めて』って言われても、何が大変なのか? それぞれに異なるし。ケアマネは、サービスを繋いだり家族を繋いだり、皆で考える土壌を作っていかんといけんのですよ。だからタッキーもなれば良いんよ。当事者の気持ちも解る。家族の気持ちも解る。介護している人の気持ちも解る。こんなケアマネは稀ですよ」

 

野田「確かに、瀧本さんの立場でケアマネに従事している人を知らないなあ! どこかに存在するんですかねえ?」

 

津田「なかなかいないよ」

 

野田「もし、瀧本さんがケアマネ取ったら直ぐに新聞社に連絡しよ。結婚できるよ」

 

瀧本「えっ! 本当ですか?」

 

野田「巷で噂になってアチコチから取材に来るんじゃないの? 認知度は爆上がり間違いなし」

 

瀧本「僕がですか?」

 

野田「41歳で中年太り。外面的には問題ありかも? だけど、介護福祉士とケアマネジャーを持ってたら食うに困らないでしょ。その資格に便乗して結婚してくれる女性が必ず現れると思うよ」(最後は3人で改めて爆笑)


最後に

瀧本の明るさもあり、終始楽しく“ふかぼり”は進められた。
とはいえ、瀧本は明るいだけではなく“漢”としての素性もあるのかもしれない。

本来、身体障害者手帳5級の障害者年金を受給していたにも関わらず受給を止めた。
そして、自分の足で人生を立っている。チンプンカンプンな発言もあって戸惑うこともあるが、そこは気性も手伝ってか、周囲も和んでしまう。

素敵な彼女が見つかりますように! そして結婚に繋がりますように! 
陰ながら応援したくなる介護福祉士でした。
最後の最後は、お得意のボクサーポーズで!