ー2025年6月26日ー
はじめに
西澤は、主任介護支援専門員・看護師・社会福祉士の肩書きも持つが、今回で管理者の役職を持つ職員の聞き取りは最後になる。
第6回、そこそこ核心を突いた内容になったにも関わらず、西澤の人柄もあるのか?
年齢からくる余裕と器の大きさもあるのか?
終始、和やかな雰囲気と笑いに包まれての“ふかぼり”となった。
@このインタビュウは真備町箭田の土師邸で行った。もちろん、西澤のホームグランドだ。
津田「そうなんじゃ!」
西澤「ただね、津田さんが船穂に入りっきりなのでなかなか捕まらない。その延長線上の悩みになるんですが、津田さんから私たちに問題提起されたあとに答えが出ないまま、答えを自分たちで探さないといけないんですよ。で、答えを出しました。でも、その答えが合っているのかどうか? 自分たちで探し出したにも関わらず、改めて自分たちで、これで正解なのか? 不正解なのか? 悩み、戸惑わなければならないという無限ループ状態も発生するんです。なんとかなりませんか?」
津田「どんなことがあるんかなあ? いっぱいあるんだろけど?」
西澤「でも、その時々で、皆でなんとか解決してやってきましたからねえ! これからもその都度、戸惑いながら対応していけると思いますが………」
津田「神崎さん(第4回登場)も、私に対して『“こんちくしょう!”って腹は立ったけど、何に対して腹が立ったのか記憶が蘇らない』って言ってた」
西澤「神崎さんが忘れてしまったのなら大した事ではなかったんでしょう。私も、そんな感じです」
津田「多分、私が上から『ああしなさい こうしなさい』っていう風にトップダウンでやるよりも、現場の皆が主体でやる方が良いと考えているので任せるよね。ただ、見様によっては無責任と捉えられることもあるんだろうなあ?」
西澤「確かに! それはあると思います(大笑い)。津田さんがやりたいことっていうか?
津田さんが思ってることが見えないことがあるので、なんて言うかなあ?
『あんな風に言ってるけど、どうすれば良いの? これどうするの?』
とかいうことは、現実ありますね」
津田「津田があんな風に言ってるけど、それってどういう意味? みたいな?」
西澤「そうですね」
津田「つまり私が、上手く言語化できてない。ということだね」
西澤「そういうことだと思います(津田と西澤、二人で爆笑)。
土師邸のことだけでもいろいろと変わるんです。
一例ですけど、サテライトでご飯を作ろう。が、長屋で作って配達ということに一瞬で突然に化けたりします。
あっちがこっちになり、あそこがここになったりもするんです。
で、最終的にはどこなんだ?ってことも屡々です。柔軟性や臨機応変さが必要な場所ですね。
特に若い人、経験が足りない職員の戸惑いは大きいでしょうね。常に変化球との勝負ですから」
野田→西澤
「職種はいろいろなんですねえ! 土師邸を含めて居宅。僕個人も何度か写真撮影で土師邸に来てますから西澤さんと遭遇してます。だから、西澤さんは土師邸がメインだと了解してました。土師邸専属の職員さんだと」
西澤「いろいろなんですけど、基本的に私は居宅。ケアマネジャーの仕事なので、高齢者の方のケアプランを立てます。
それを家族の方たちに伝え一緒に考え、利用者さんが家で生活できるためにどういう支援が必要か? そういう計画を立てる仕事を私は本業でやってるわけです。
で、ここで問題発生? というか?
津田さんは、そもそも『居宅はいらない』と言ってた人なんです(西澤の声を聞きながら津田が笑っている)。
『“ぶどうの家”に居宅を創るつもりはない』と。
私も、他の事業所でケアマネをしてたりもしてたので、小規模多機能(看護小規模多機能ホーム)に居宅を創る意味はないなと思ってました」
@内容が西澤の本業に入り、次第にエンジンが上がっていき滑舌も潤う。
西澤
「居宅で持っていた人を小規模に移したら居宅の収益が無くなります。利用者さんが居なくなるわけですから利益は生まれません。
結局、利用者さんの奪い合いが生まれます。なので、確かに意味のないことだなとは思っていたんですが、そんな折り西日本豪雨が発生し真備町は未曾有の大混乱に至りました。
その後、12月に運営推進会議あったとき、ここら辺りで一番大きな役割を担っていた施設が居宅を縮小するということが分かりました。その頃、10人の職員を抱えてた居宅が半分の人員になり今では閉鎖。
で、その過程を歩んでる頃、津田さんから言われました。
『今は各地それぞれの地域で避難し生活をしている高齢者たちが真備に帰ってきたいと思ったときに、真備で介護保険を使う人たちに、真備を知らない人がプランを作り彼らを支え携わるようになるね』。
この事態は良くないねって2人で話しあった記憶があります。
で、私が『じゃあ、いよいよ居宅を始めましょうか?』。
津田さんが『それいいね! やろう』という会話から生まれた“ぶどうの家”の居宅なんです。
その勢いで突っ走り3ヶ月後。私と男性ケアマネジャー2人で立ち上げたというのが実情なんです。
で、本題? に戻りますが、津田さんはそもそも居宅という仕事に興味がなかったはずです(津田 西澤 2人揃って大爆笑)」
津田「いやいや、そんなことはないですよ。私だってケアマネジャーですから。だけど、小規模にこそ居宅は必要ないからね。小規模多機能にはチームで動くケアマネジメントの機能は必要だけど、ケアマネジャーは必要ないということ」
西澤「大笑いしながら会話してますが、こんな流れがあるので居宅の運営だったりとかに口出しされることはほとんどないです。なので、私たちは津田さんの圧を感じることもなく、自由にストレスフリーでやらせてもらってます。
もっと極論を言えば、ケアマネという存在に津田さんは重きを置いてないと認識せざる得ません」
@かなり辛辣な発言が続いているにも関わらず、2人の会話は爆笑の渦の包まれながら続いていく。
一般職員との“ふかぼり”でも、こんな雰囲気下で、そして今回のように直球の投げ合えいを思い浮かべて先を進める。
野田→津田「随分と赤裸々な発言が聞こえてきますが、津田さん、反論は?」
津田「確かに制度上は必要なんでしょう? ケアマネジャーは。とはいえ、制度そのものが現実に合っているのか? と問いたいのね。どう表現したら良いのかなあ? 言語化。 もっと、地域を耕す様な役割。
本来のソーシャルワークの役割をケアマネがやるべき仕事だと思うんよ。
だけど、今のケアマネに求められているのはそこじゃないなあ。
全然、違うでしょ。ってなるとケアマネはいらないよね。
だからここのケアマネさんたちには、地域を耕すことを優先させてね!という方向で話はしてるんだけどね」
西澤「全くそのとおりです。でもなかなかね。ずっとケアマネ畑でやってきたスタッフばかりなので、じゃあそれが理解できるか? それを実践しろと言われてもそこは難しいところがあるんです」
津田「うーむ! そのことが理解できるケアマネがいないという事が、今の問題なんよな」
@事ここに来ると、流石に2人から微笑みは消えた。
西澤「それは多分、“ぶどうの家”に限った問題ではないはずです」
津田「そうなんよ本当に! それが仕事とは思わない。例えば、利用者さんと一緒に町内の溝掃除しようか? とか、ならないよね?」
西澤「そこまではねえ?」
津田「もちろん、そこまで出来るのは難しいんだけど、これは極端な話しだけどね。ただ、そうやってでも利用者さんと地域の人と繋がるということを大事に見られるか? となれば、今は制度上できないもんな。そこが問題」
野田「エッ? 制度上、できないんですか?」
西澤
「えっとですね。やったからって捕まることなんてないですよ(笑)。すれば良いんですけど、現実問題として出来ないです。ここのケアマネは多い人で30人弱の利用者さんを受け持ってます。
4人のケアマネがいますが、私ともう1名が常勤。2人はパートさんで、そのうちの1人は週1回の出勤ですから常勤さんには負荷が今まで以上に掛かっているのが現状です。
小規模だと範囲が限られますが、ここは真備の人もいれば玉島の人もいます。倉敷中心部の人もいれば総社の端の人もいます。つまり、居宅のケアマネは地域だけでやってるわけにはいきません。なので、地域である真備、箭田等々を耕すということに難しさはある。というのが本音です。
ただし、ただしです。ここ土師邸で、今後は今まで以上に地域の人たちと交流を絶やさないよう心掛けたいと考えています」
津田「ところで、西澤さんが管理者になったのはここが初めて?」
西澤「もちろん初めてです」
津田「管理者になってどう? 普通のケアマネやってるのと管理者ケアマネ。違う?」
西澤「他所の事情は知りませんが、ここで私を管理者と思ってる人はいないんじゃないかな?
叱られるかもしれませんがね。皆が同一ラインに立っている感じなんですね。横並びの中で、なにかあれば私が出っ張るみたいな。会議とかですね。
で、居宅のケアマネさんは大ベテランばかりで、私以上に経験豊富。定年を超えた方々がほとんどなので知識も世渡りも私なんか足下にも及びません。教えてもらことの方が多く、下手したら私に指導が入ったりしますからね」
津田「そりゃあ、ケースとか書類関係とか手続きとかね、教えてもらう場面は度々あるだろうけど、所謂ね、管理業務。多々、教えてもらいながら管理業務も並行させなければならない難しさもあるでしょ?」
西澤「管理業務って、なに? と言えば嘘になりますが、居宅の職員は少ないから勤務表も案外と簡単で、管理業務と言える大袈裟なことをしている認識はないんです」
津田「ベテランばかりだから指導する場面もないか? 」
西澤「そうなんですよ。今のスタッフだからやれてると思ってます。若い人に世間の常識や良識から教える必要もなく、素っ頓狂な人がいるわけでもなく。だから、“ぶどうの家”内の他管理者さんたちとはかなり隔たりはあるんじゃないですか? ストレス他に関しても。」
津田「確かにね。他所は苦労してるからなあ!」
西澤「そりゃあ、『エッ! その動きは?』って思う場面が無いわけでは無いですけど、それが業務の範囲で動くなら、『まっ良いか!』って目を瞑ることもあります」
津田「寛容にやってるわけだ」
西澤「ハイ。私はそんな風にしかできないので。ガッチリ管理者を目指せば、自分を破滅させてしまいます」
津田「ケアマネは増やさない?」
西澤「利用者が増えることがあれば考えますが、今の利用者さんの数であれば増員の必要を感じません。
居宅の一層の充実は考えてませんが、今、需要があって必要とされてるのは相談支援の方だから、相談支援に力を入れてやろうかなって話しになってます。で、そこから高齢になったときに介護保険に繋がっていったり、小規模に繋がっていったりとか他のサービスに繋がっていきやすいとも思うし、保健師さんだったり周囲からも期待され始めた現実があるんです」
野田→西澤「すみません勉強不足で。相談支援というのは?」
西澤「障害を持った人。身体障害もそうですし、精神疾患を持っている人も範疇です。
介護保険で例えれば、そういう人たちのケアプランを立てて支援するという役割を担う所なんです。ただ、介護保険のように、この状態だからこのサービスを使いましょうっていう一律で事を運べない難しさがあるんです、ここは一踏ん張りする必要に迫られてます」
津田「介護保険と似てるけど違うんよね?」
西澤「“似て非なるもの”ですね」
野田→西澤「御免なさい。今、何と何を比較されてるんですか?」
西澤「ケアマネと相談支援専門員とを比較してます。で、介護保険のケアマネジャーは、デイサービスであったりショートステイであったり、そこに組み込んでいけば収益となります。
一方、相談支援となると本当にいろんな人、障害者がいるので、『じゃあここへ行きましょう』となっても繋がらない場合も多々あります。中にはひきこもりの方も含まれます。そんな方々を訪問看護に繋げたりだとか、障害者支援事業所へ繋げたりとかの役割も背負っているんですが、それが繋がらなければ収益は発生しません。
つまり、お金にならないんです。介護保険って1つでも利用していれば1人に対してお金が出るんですが、相談支援の場合はかなり複雑なようなんです。私もまだ勉強不足なんですが、それこそ地域に根ざして、その人に寄り添って関わりを持ってやっていかないと支援としての収益化にならないんです」
野田→西澤「なにやら門外漢から察するに複雑怪奇の様相ですが、なぜ? 相談支援を始めたんですか?」
西澤「それは津田社長が!」
津田「トップダウンじゃないですからね」
西澤「やろう!って社長が。巻き込まれてしまったんです」
野田→津田「なぜ、やろう! の声が?」
津田「それは、いたからです」
野田「はっ? ?? いたから?」
西澤「多田さんというスタッフが入職したんです。実は、多田さんが相談支援業務に長けてる女性で、経験も豊富。そんな彼女が現れたので、津田さんからのゴーサインが出たわけなんです。早々に準備を始め、苦労して立ち上げました」
津田「やろうか? って言われれば、やらんといけんもんね(2人で爆笑)」
西澤「資料を一生懸命に揃えて、何度も何度も倉敷市役所へ通いました」
津田「でも、土師邸にはピッタリよね? 皆がここでやりたいと考えてるコンセプトにはスコブル、マッチングしてるはず。土師邸は高齢者問題だけに特化して取り込む考えはないし、地域にある問題を地域の人と一緒に解決したい、できる場所と信じるから」
野田→津田
「ところで、結局、土師邸の役割というか? 存在理由は何なんでしょう?
過去、私もここでいろんな場面を写真に収めてきました。寿司屋さんの出店、結婚式披露宴、大晦日にはおせち料理作り他。例えるなら“多目的古民家”? 古民家とはいえ、素晴らしくリノベーションされていますけれど(土師邸も平成30年7月の西日本集中豪雨で家屋が水没」
津田「結局、皆が集える場であったり繋がりができる場であったり。だけどその根底は、繋がりがあると困ったときに“助けて!”って言い合えるような関係が構築できてる。
敢えて、相談に行くというのは、ちょっとシンドイはずだから。
ここで週に何回かコーヒーを飲む。次第に知らない同士がお喋りを始める。
そうこうしているうちに、悩みを打ち明けられる仲にもなる。
時間をかけて、そんな繋がりができる場所。
そりゃあ、『私、こんな困りごとがあるんです』と駆け込み寺的に訪ねられたときは、もうかなり重篤ですからね。これは、この地域に住む皆が身を持って感じ、経験してることだから」
野田→西澤「ところで、もう事業所の看板は上がってるんですか?」
西澤「はい。倉敷市から認可は降りたので、こちらから『利用者さんお願いしまーーす』って挙手すれば直ぐに始動になります(大笑い)。誤解があれば申し訳ないですが、待機されている方が多いのが実情です。ただ、準備が整ってない現実もあって、ソフト面とかハード面がですね。完全始動には、今しばらくの時間を頂いています」
津田「ただね、それがメインではないんよね。元々の発想では、ここにやって来る人たちで相談が受けられたら良いねえ!って。障害がある人たちが来たときに、ちゃんと受けれたら良いねとか、困らないようにね。
特に若い人とか、介護保険を利用“できるできない”境界線にある人とか、いろいろ問題は発生するので少しでも解決できれば良いねって。つまり、大上段から構えて事に当たろうって姿勢とは異なるんです。もっとも、需要は多いと予想してるのでマイペースを貫けるかどうか?」
西澤「さっき、2時間ほど前になりますけど、武田(第1回スペシャル登場 総合施設長)さんと同様の話してて『そうは言っても一旦事業として立ち上げると、依頼を受けた人たちを拒むことはできない。ガツガツとまでは言わないけれど、拒むことによって収益は上がらず事業として立ち行かなくなるので、ある程度のところまでは気張ってくださいね』と。」
津田「ある程度かあ? 程度のラインの擦り合わせが必要になるね」
野田→西澤「誉められた質問ではないんですが、地域のお年寄りが長閑に和やかに楽しんでられる土師邸に、ひきこもりの人が溶け込むことは可能なんですか? 逆に、お年寄りも受け入れられるんでしょうか? 摩擦が起きたりしませんか?」
西澤「そんな事態が起きるか? 無いことは無いでしょうね。でも、ひきこもりの人たちって、なかなか家から出られない人が多いんです。だから、高齢者が集っている場に出てこられるということは、まだ軽度な人ですね。
その逆で、出てこられない人が多いんですよ。なので摩擦云々はあまり考慮していません。人がいれば帰ってしまいます。皆さん敏感でアンテナをしっかり張ってますから」
野田→西澤
「さて西澤さん、なんだかとても楽しそうに応じていただいているんですが、なぜ? そんなに楽しそうなんですか?」
西澤「苦しくは無いですよ(笑)。なんだかんだが日常になっているので、何が楽しいか? と問われても? だけど、やはりですね、いろんな人たちに関われることだと思います。
利用者さんとガッチリとまでは無いんですが、土師邸でイベントがあり大勢集まってきて、そこで会話を楽しみます。
マルシェで野菜を売ってたら声掛けしてくれたり、隣にある幼稚園の子供たちが覗いて花を詰んで帰ったりとかね。
そんなこんなに携われていることが楽しいんです。仕事としても、やりやすいし充実してます。
今、やりたい事があるんですが、それを叶えてくれる会社に感謝ばかりです」
野田→西澤「最後になります。津田さんへの感謝なり苦言をお願いします」
西澤「感謝はですね、ここの居宅を立ち上げる以前の私ですが、精神的にかなり辛い時期だったんです。その切り替えになった出会いが“ぶどうの家“であり居宅の立ち上げだったんです。
立ち上げから7年が経過しましたが、オープン初日は西日本集中豪雨から約8ヶ月後の平成31年3月でした。
津田さん武田さんはブランチ(役割的に土師邸と似たコミュニティスペース)に寝泊まりされてましたからね、住むところを無くした利用者さんたちと。
そのブランチの一角、というか片隅に居宅をオープンしたんです。机一つで。今振り返れば、あんなので良く認可が降りたなあ! って感じです」
津田「そうじゃったなあ! 良く頑張りました。仮設避難所暮らしの最中でねえ!」
西澤「もう1個あります。他の居宅さんって本体があるんです。それが病院だったり特養だったり。その本体にサービスがくっ付いているんですよ、多くがですね。そうすると、大きな所になればなるほど、自分の身内の事業所に誘導しなさいと指示があるんです。通所だったりとかに。サ高住なんかは度々、ニュースを賑やかせますけどね。
だけど、“ぶどうの家”にはそれがないんです。
訪問看護にしてもここがやってる“天使のおくりもの”だけじゃないですよ当然。
町内にも倉敷市内にもいっぱい訪看はあります。利用者さんの奪い合いにもなるんですが、ここでは“天使のおくりもの”に誘導しなさいなどという指示命令は一切ありません。
他事業所では、身内の事業者に対して何%かは誘導するよう指示が出たりしています。ノルマが課せられるんです。とはいえ、事業所と利用者さんの相性とかもあるじゃないですか? それを理解しているならば、ノルマは居宅にとって半端なくストレスです。
それが全くない“ぶどうの家”の家は、ケアマネとして本当にストレスフリーです。“ぶどうの家”にも事業所はいくつかありますが、良くない姿勢を見つければ私はシッカリ指導しますからね。本当に働きやすいです。
なので今、精神的に落ち着いてられることに感謝ばかりです。
それで、苦言ですか?
苦言としては、インタビューの冒頭でも話しましが、とにかく捕まらない。
どこにいるか全く分からない。岡山にいるのかも不明。
アチコチの事業所から捜索願いが出てる状況が頻繁です。
社長なんですから腰を据えていて欲しい。居場所が分かっていればOKではあるんですが、とりあえず1日1回は顔を出してもらえれば助かります。各事業所へ日々、車で周遊してもらえればと思います。そこで、私たちに『ヨッ!』と一声を掛けてもらえれば(2人で爆笑)」
最後に
本文の中には組み入れなかったが、西澤が在宅訪問すると、見なくてもよいモノまで見えてくると言う。
在宅訪問者なら必然なのだろうけれど、世間で問われている80・50問題。
年金生活している80歳代の親と、その年金で暮らしている無職の息子や娘たち。
「この親が鬼籍に入ったら、どうやって暮らして行くんだろう?」。
更には、何年も不登校で引きこもりの成人とも遭遇する。訪問すればするほどに問題は載積する。
素人判断だが、ここらが福祉介護相談所の肝なのかもしれない。
今回、西澤との“ふかぼり”は実に楽しい時間だった。というか、彼女から明確な発言も多かったので文章化することにあまり手間が掛からなかった。インタビュー中、それが想像できたので気が楽だったのかもしれない。
で、インタビューの最中、この“ふかぼり”という企画の発端は何だったのかを知りたくて津田に問うてみた。
私もそこを“ふかぼり”したくなってみたのだけれど、津田からの回答はあっさりしたものだった。
「管理者たちとは話す機会は多いけれど一般職員との会話は途切れがちです。100人以上にも職員が増えた今、職員の皆と、1度は面と向き合ってコミュニケーションしたかったからです」
先は長い!