ー2025年5月2日ー
はじめに
「まさかここまで、介護の世界にどっぷり浸かってしまうとは思いもしませんでした」
と振り返る神崎。
訪問介護のヘルパーを振り出しに紆余曲折を経験してきた。
その神崎は『不謹慎ですが』と前置きして、消防車やパトカーのサイレンを聞くと今も自然と心躍ると言う。
その志というか心根を受け継いだ長男は消防士として現場最前線で活躍中。
そんな神崎と津田由起子のトークとなるのだけれど、今回は過去3回のように直球ストレートでの問答とはならなかった。
ま、人それぞれ。得て不得手があるのだが、編集作業する私(野田明宏)は少々手こずった。
津田「化粧してくる?」
神崎「一応してるんですよ、これでも。普段はあまりしないんですけどね」
@幸先は2人の大笑いから始まった。
津田「じゃあ始めすね。神崎さんが“ぶどうの家”に来たのは何年前だったかなあ?」
神崎「10年以上? 11年前になりますかねえ?」
津田「子供はまだ小さかった?」
神崎「子供は中1、小5、小3だったと思います。男 女 女です。」
津田「パートで来たんだよね。真備の小規模多機能の立ち上げのときに応募してきた」
神崎「そうです」
津田「なぜ?“ぶどうの家”に応募してきたの?」
神崎「実は、応募する以前はヘルパーをしてました。3年目でした。シンドイなあ! と思えてくる時期だったんですかねえ? そのときに、辞める決意をしたんです。それを先ず、同僚でもある上司に伝えると『真備に“ぶどうの家”ができるよ』って教えてくれたんですね。で、その後2ヶ月ほどゆっくりして応募したんです」
津田「ヘルパーというのは登録ヘルパーだった?」
神崎「そうです」
津田「じゃあ、ガッチリとういうわけじゃあなかったのに、なんでシンドくなったんかなあ?」
神崎「孤独でした。困ったなあ! 不安だなあ? ということを誰にも言えなかったんですよ」
津田「そうなんだ。利用者さんの家に行って、ヘルパーの仕事をして困ったなあっていうときに、それをそのまま家に持ち帰ってしまっていたということかな?」
神崎「そうなんですよ、家から直行直帰なんで。で、1ヶ月に数回くらいしか事務所に行きませんでした。もちろん、電話のやりとりはあったんですが、孤独でした。本当に悩みました。“ぶどうの家”では皆、訪問から戻ってきて、ああだったこうだったって語り合えますがヘルパーってそれができないですから」
津田「小規模多機能だったら事業所に帰ってきて、皆が、ああだったこうだった、これはどうしたら良かったんかなあ? とか、そういう風にワチャワチャ話しができるけど、それを持ち帰ったままだったんだ」
神崎「そうなんですよ。どんどんどんどん溜まっていったんです。鬱憤が! で、小規模多機能という施設がどんなことをしているか全く知らずで応募したんです」
津田「何も分からないでよく来たなあ。慎重派の神崎さんが! 冒険だね」
神崎「正直言うと、ガッチリこんなに働くつもりは全くなかったんです。当時はパートで家族優先。子供優先でしたから。つまり、そんな真剣に考えてなかったんですよ」
津田「変わってしまったなあ!(大笑い)そこから段々に仕事を覚えて常勤へ。そして管理者になった今。ということなんだけど、小規模を全く知らなくて把握してなかった神崎さんが小規模を知っていくわけよね? それってどんな体験?」
神崎「いろいろ研修を受けました。船穂へも行きました。それでも数年はほとんど理解もできず仕事をしてたなあ! と思うんです。今、改めて振り返ればですけどね」
@少し二人の間で沈黙。神崎が言葉を選んでいるようにも伺える。
神崎「実はね、津田さん武田さん(総合施設長)から言われたことに“こんちくしょう”と思ったこともあったんですよ」
津田「そうそう覚えてる。凄い反発しとったよな」
@二人で大笑い!
神崎「“こんちくしょう”と思いながら仕事してたんですけど、楽しいなあ! と思い始めたのは水害(西日本集中豪雨で“ぶどうの家”が屋根まで水没)前あたりからかなあ? 利用者さんも凄く増えて忙しくなって」
津田「事業所がオープンして3~4年が経った頃かな? やっと起動に乗ってきた頃だね。で、何がどう? 楽しくなってきたん?」
@神崎が津田の問いに少し考え込む
神崎「?? ?? 何が? どう? それがあまり覚えてないなあ!」
津田「利用者さんの生活というか、暮らしというか? それを最後まで見届けるとか? そういのがあった時期でもあるような? Aさんとかね」
神崎「そうそう確かに。でも、Aさんのときは言われるがままにしてたような気がします。看取りにしても。ただ、看取りを実感したのはHさんでしたね。Hさんとは元気なときから関わって、いわゆる認知症で大変な時期でした。ああでもないこうでもない、ああしてみたらこうしてみたら。家族とも相談しながら家族の力も最大限の発揮をしてもらいながら、近所の人たちも力を貸してくれて、そんな中で最後・最期を迎えるというケースと出会った頃でした」
津田「だけど、最初の反発がそんな風に変わってくるというのは、利用者さんを通じていろいろが理解できたということかなあ?」
神崎「長く関わっていくと当然、利用者さんのことが深く理解できるようになりますよね。基本、家族とのやりとりは職員がやるので、コミュニケーションを含めてしっかり話ができます。“この人のためにはこうしたら良いんだろうな?” そんな問いかけに、実現化が段々にでき始めた頃だったように記憶してます」
@野田→神崎
「総合施設長の武田さんの強い思いで始まったこの企画ですが、神崎さんは、指導してもらう立場にある武田さんに対して個人的な不満なり“こんちくしょう”と思ったことがあれば一例で構わないので教えてください」
神崎「武田さんに反発というよりは、津田さん武田さんに対しての反発ですね。
とにかく、言ってることが分かりませんでした。
というのも、今までと真逆の介護をしなければなりませんでした。ヘルパーの頃と比較してですね。
ヘルパーは、どちらかと言えば手を貸すことの多い職種です。言い換えれば、利用者さん=お客さま。
お客さまという視点ではヘルパーも小規模も同様ですが、実践する内容は大きく異なります。
それと、ヘルパーはできないことが多いです。あれやったらダメ。これやったらダメ。縛りが本当に多いんです。
だけど、小規模の場合、縛りがない代わりに“待つ”という姿勢が大事なんですね。
利用者さんが出来る様になるまで“待つ”。ここに最初は違和感ばかりで、それが反発という形で現れたんですね。
実は、もっと他にもありますけど大人の事情で内緒です」
野田→神崎「だいたい理解できますが、そう少し具体的にお願いします」
@神崎が話にくい様子なので津田が引き継ぐ。
津田
「多分ねえ、私は職員が育つことが小規模には一番必要なことで、育つっていうのは職員が利用者さんを真ん中に置いてちゃんと考える。そういう場を作っていかないと事業所としても育っていかないと思ってる。
だから神崎さんの場合、今まではヘルパーとしてオーダーが出されていたんですよ。利用者さんの家に行ったらこのようなご飯を作って下さい。お風呂に入れるとか排泄の介助をして帰るとか。作業的なオーダーが出るんだけど、小規模の場合は、もちろん作業は出来て当たり前。
なんだけど、それよりも「何故? その作業が必要なのか?」「どうしてその時間にそれをしなければならいのか?」っていうところを考えられるような職員が育つということが必要なの。
だから、職員に考えてもらうようにする。
職員に投げる。
どうすれば良いのかを。
職員が考える場面をいっぱい作る。
そんな事情もあって神崎さんは、『なんで? なんで?』ってアップアップ状態になったんだと想像するけどね」
@神崎の沈黙が続く中、津田が改めて引き継ぐ。
津田「言葉で表現するのは難しいかもなあ? ただ、今までやったことないことを小規模に来てやらされたんだろうなとは思う。例えば『地域に出て小規模多機能の説明をして来て下さい』とかね」
神崎「ありましたねえ! あった あった」
津田「例えばね、サロンとか民生委員さんの集まりとかで『“ぶどうの家”さん新しくオープンしたから“ぶどうの家”がどんな所か教えて下さい』とかいうような依頼が来るんです。
それを、私とか武田が行って説明するのは簡単です。でも、それを私たちがやってしまうということは、職員さんが育つという場面を奪ってしまうことになります。なので、ここは職員さんたちに頑張ってもらおうと。
だけど、ヘルパーの頃はそんなことはやっていない。初めてのこと。それも大勢の人前で。
なんで? なんで? 混乱してしまう。
だけど、ここを通過してもらわないと、“ぶどうの家”でその先はありません。
私も初めてのときは上手くできなかったから。“ぶどうの家”が初めて出来て、凄い期待を背負っているわけです。
そんな依頼が来ての現場で説明してきて欲しいとなれば、かなり負荷は大きかったはずです。
が、一種の登竜門かもしれませんね」
野田「そうなんですね。話づらい質問をしてすみませんでした。ここは神崎さんに語ってもらう場なんで次に進みましょう」
津田「大丈夫。私も、なぜ反発があったのか知りたかったから」
@少しの間を置き、神崎が沈黙を破って語りだす。
神崎
「まあ、一般的に見てキチッとした組織じゃないと言うと誤解を生みますが、良い意味では自由にさせてくれる。
でも、キチッとしていないので、そういう意味で反発もあったんです。
『キチッと』とはですか?
例えばですね、前に居たところのヘルパーだったら、上がいて、その下がいて業務の伝達がありました。
でも、ここに入ったばかりのときは自由で良いんですが、上からの指導が下りて来なくって。
極端に言うとトップダウンが皆無。自分で考える。皆で模索する。
そんな雰囲気の現場に戸惑って、それが不安と反発に繋がったのは事実です。
津田さんと武田さんがいて、オープン時でもあり他職員の立ち位置は横一線でしたから」
津田
「神崎さんは水害後に管理者になったんよね。だからもう7年目。
だけど、何度も挫けそうになって辞めようと思ったことがあったね。一番大変だったことは?」
神崎
「最初は家庭との両立でしたね。この仕事を始めた頃、主人は、彼が休みの日は私も一緒に休日を取ることを望んでました。子供も小さかったし習い事もやってましたから、私は仕事を済ませると直ぐに帰宅し食事作りでした。
更には子供たちの習い事の送迎。いろんなプレッシャーが重なり、当時は本当にシンドかったです。
管理者になって私が電話当番をするようになりました。自宅に帰ってですね。オンコール(勤務時間外であっても呼び出しに対応できるように従業員が待機していることを指す)が掛かってきて夜中でも私が電話対応しているのを家族は見てます。
もちろん、夜中の出動もあります。その姿を見て、頑張ってるなあ! っていう風に段々に理解ができてきて、今はとても理解ある主人になってくれました。
子供も成長し、今はやれやれですが、管理者をしながらここまで介護沼に入り込んでしまうとは想像もしてませんでした。」
津田「じゃあ、管理者のやり甲斐は?」
神崎「長年、関わりのある利用者さんが最後・最期をご自宅で迎えられるとき。このときを一緒に過ごさせてもらう瞬時に、この仕事に出会えて良かったなあ! そしてやり甲斐を強く感じますね。
それと“ぶどうの家”では、なにか困ったことが起きると皆で話し合って直ぐに柔軟に対応するじゃないですか。
決まりは決まりで大切ですが、その決まりを変えてまでも対応して事が上手く運んだとき。
このとき、達成感というのか? やり甲斐を感じます」
@津田から、やり甲斐について
津田
「利用者家族から要望が上がってきたとき、皆で考えます。
例えば、“ぶどうの家”に泊めて下さい。となったとき、
"これは泊まって本当に良いのかな? 泊まることが、この人の在宅生活を支えることで本当に正解なのかな?"
って皆で考えます。
『じゃあ泊まってもらいましょう』『今回は私たちが夜に訪問しよう』とか提案したりもします。
つまり、日々、そんな話し合いがイッパイあるんです。
その提案が上手く運び、ご家族から感謝され、自分たちも達成感を抱くことに繋がれば、それは、やり甲斐となるはずです。」
神崎
「そうそう。もっと身近なところで言えば、パッドひとつの当て方にしても同様です。極めて尿量の多い人がいますよね。夜間、当たり前にパッドを当てていれば尿もれする人でもパッドの形状を、当て方を工夫することで一晩、尿もれを防ぐことができます。
実践して“ビンゴ!”となれば、利用者さんもご家族も、そして私たちも"ヤッター!”となりますから」
野田→神崎 「いろいろあるんでしょうが、“ぶどうの家”で長く続いているのは何故なんですか?」
神崎「“こんちくしょう”と思うことはあったんですけどね。
基本、津田さんも武田さんも尊敬はしているので
…… 大好きであることは間違いないんです。上司に恵まれているからでしょうか?(大笑い)」
津田「そういえば、小規模多機能の実践者研修に泣きながら行ったときがあったよな?」
神崎「そうなんですよ。横浜まで。新幹線に乗って東京駅で下りて乗り継ぎ。不安ばかりでした。だって、そんな遠くまで独りで行ったことなかったですから。
新幹線に乗った途端。涙が溢れ出しました。親しい身内に不幸があったようなギャン泣きでした。
もっとも、研修だけを捉えれば率先して参加したい研修でした。岡山市辺りなら最高だったんですけどね。
とはいえ、結果オーライでした。
横浜へ行く道中を含め、旅人としても介護職としても器が大きくなったと確信できてます。」
津田「神崎さんは、1個いっこ成長して行くんですよ。横浜行きも含めて、ちょっとずつ負荷を掛けられて、ちょっとずつ成長して。でも、今は管理者としてスゴイよね。ちゃんと職員の話も聞くし、言うべきことは言えるし、スゴク強くなってる」
野田→神崎
「これを言うと嫌われるなあ! ということも当然あると思うんですが、そんな場面でも言い切るんですか?」
神崎「タイミングがあると思うんですよ。今この人にこんなことを言っても、耳には入らないなって思うときは言いません。だから、その時を見計らってですね。独り呼んでとか」
津田「パートで入職した頃の神崎さんと比較して今、信じられないと言っても過言ではないですね。
介護職としても人としても凄い成長」
野田→神崎「しかし、嫌われても言い切るというのはストレスも半端ないでしょう?」
神崎「ストレスに感じるときもあるんですが、感じることがないときの方が多いですね。
根源は、責任ですかね。私は基本、現場の職員さんが第一だと考えているんです。
私が“ぶどうの家”のトップですが、現場には現場のトップがいます。
なので、私は一歩引いて俯瞰してることが多いんですが、結局、皆で考えて悩み、皆で動かしていくスタイルを望んでいます。研修するにも皆で一緒に考えます。
トップダウンで『こうしなさい』『ああしなさい』ということはできるだけしないよう心掛けているし、そんなことはほとんどありませんね。」
野田→神崎「それって、津田さんが望んでることと同じですね」
神崎「そうなんですよ。あれだけ反発していたのに、津田さんが言っていたことを私も言ってるなあ! って。
時々、言いながら自分で驚いたりしています(大笑い)」
野田「なんだか、やっと見えてきたような気がします。少し話題を変えましょう」
津田「利用者さんで一番印象に残っているのは誰かなあ?」
神崎「“ぶどうの家”の在宅ということで選択するんだったらOさん。私もご自宅に泊まったし、自宅に帰るに当たって周囲を説得するために皆で考えました。カメラを設置するとか、私たちが泊まって様子を見るとかですね」
津田「高齢者2人暮らしで奥さんが認知症で。認知症も重度。旦那さんは片麻痺。
で、ご家族は市街に住居があり少し距離があって。ご家族は『施設の方が安心』とおっしゃってて。
でも、現場スタッフ全員、夫婦2人を見てて、2人で家で過ごすのがベストと結論を出したんよな。
2人の様子からも言動からも理解できたので、2人の想いを実現させるためにはどうすれば良いのか?
というところで一生懸命に考え動いてくれた。そしてご自宅で2人ともに看取った。
ご主人は101歳だったんだけどね。感慨深いなあ!」
野田→神崎
「最後の質問です。“ぶどうの家”も職員が足りないそうですけど、募集も出してありますが、どんな方に来て欲しいですか? 」
神崎「ここ数年、募集は掛けていますが、職安を通じてより人と人の伝手で来てもらうことがほとんどです。
なので、職員との繋がりで来てくれれば、よりベターな気がします。早く馴染ますもんね。
介護士さんはもちろん看護師さんも募集中です。私も今の境地にたどり着くまで反発を抱えながらでした。
なので、新規の職員さんには長い目で見て“ぶどうの家”のスタンスに慣れて、身につけてもらえればと思います。
もちろん、そう仕向けていくのは私の責任ですけれどね」
最後に
今回は、もしかすると曖昧模糊なインタビューで終了してしまうのではないか? という不安を抱えながら進行していった。とはいえ、神崎が津田と同様のスタンスで職員に接してることの言質が取れて一安心。なんとか形になった。
やれやれでした。
さて、幕引きを神崎から津田への労りの言葉で締め括りたい。
「津田さんとは親子ほどの年齢差はありませんが、私も50歳が目の前。お会いすることも最近は減っていて、津田さんの激務を想像すると心配になります。夜勤にも数日は入ってるとか?無理せずお体を大切に!」