[第11回]

本家(小規模多機能ホームぶどうの家・グループホームぶどうの家)ケアマネジャー・赤松里奈(43歳)


ー2025年9月30日ー

はじめに

 

赤松は“ぶどうの家”グループ内で最古参。勤務歴20年という生き字引のような存在。
津田とも親しすぎるほど親しく、このインタビューも雑談のような形で進んでいった。

|介護の仕事に就いたのは?

津田「赤松さんが介護の仕事に就いたのは学校出て直ぐ?」

 

赤松「そうです。私は介福(介護福祉士)が取れるという学校に行ったんです。
卒業したら、その先に福祉関係の職場に就職するというのが一般的でした。卒業生はほとんどそうでしたから。

で、先輩方と同じように施設見学に行ったりとかで、当たり前のように介護の仕事に就くつもりで過ごしてたんです。

その流れで、特養に就職しました。卒業後直ぐの4月入社でした」

 

津田「で、その学校に行こうと思ったのは高校生の頃?」

 

赤松「高校生のときに、母もヘルパーの資格を取りに行ってたんです。

『これからは介護福祉の仕事が重要で必要になる時代だから』ということで。

 

その母から『大学に行くなら介護福祉の資格が取得できる大学を選択したら?』とアドバイスをもらったんですよ。

でも、私が通う高校は普通科だったんで、基本は4年制大学を目指しなさいと言われてました。

受かった大学に行くようにと。ただし、残念ながら4年制には受からなかったんです。

 

轟沈でした。で、唯一受かったのが介福が取れる短大だったんです。もっとも、短大で良かったと思える自分がいました。運良く4年制に受かって全く畑違いの大学に入学するよりは良かったと納得してましたから」(赤松大笑い)

 

津田「そうそう。良いように運命が出来てるんじゃな。そういう風に導かれるんじゃから」

 

赤松「そうなんですよ。『良い方向に行ったなあ!』とつくづく思いました」

 

 

|短大卒業後→特養→“ぶどうの家”

津田「ホントねえ! じゃあ、それで卒業して介福を取って、特養に行って…… その後は?」

 

赤松「特養は退職したんですが、特養が嫌になって辞めたのではないんです。少し、考えるところがありました。

で、結婚を考えている人もいて、そういうタイミングで結婚するということもあったので、次の就職は単純にパートでも良いかな? と」

 

津田「軽めのね!」

 

赤松「そうなんです。軽めの仕事を探そうかな? って思って。

それで、求人票とかハローワークとかに行ってみたときに“ぶどうの家”の求人票があったんです。

 

それを主人に相談したら、もちろん結婚後です。

主人からは、“ぶどうの家”は介護の世界では先駆けのような存在で有名という事を知らされたんです。
主人も福祉関係の仕事をしてましたから。
とはいえ、私が入職したのは小多機になる以前ですから、かなり昔です」(二人で爆笑)

津田「そうそう。かなりだよねえ!」

 

赤松「だから、ヘルパー募集の求人でした。それで、『津田さんという凄い人がいるよ』と主人から知らされて、『じゃあ見学に行ってみよう』ということからご縁が繋がりました。見学に行くと、普通の家で、普通に利用者さんとスタッフが生活されていて両者に隔たりがなかったんですよ」

 

津田「特養から見たら『ここは、なんだ?』みたいな感じよね」(二人爆笑)

 

赤松「認知症の方が外に出て行こうとしてるのを、職員も一緒に出ていく光景を見て少なからず衝撃を受けました。
凄い!と思いましたね。
第一印象も良かったので“ぶどうの家”に決めました」

 

津田「そうやって来てくれて良かったわ。ありがとう」

 

赤松「来たときはヘルパー募集だったんですが、入ってみたらグループホームで泊まっている人もいました。デイでヘルパーをしてても、職員の区切りはなくて皆でカバーしあいながら和気藹々だったですね。

で、この年に小規模に切り替わって、という事情だったと記憶しています。なにもわからず、これからどうなるんだ? みたいな……」

 

 


津田「小規模って、なに? だよね」

 

赤松「そうそう。だけど、サービスが切り替わったからって内容が切り替わってるわけじゃないんで、そのまあ継続。
最初は夜勤とかもさせてもらってたし、小さい家なので利用者さんが直ぐ傍にいるという感触が私にはピッタリでした」

 

津田「そうなんよな。ちっちゃいちっちゃい家のときで、二番目の家のときじゃなかったかなあ?」

 

赤松「でも、ここでしたよ。今、ベトナムからの人たちが寮として使っている家」

 

津田「そうかそうか。三つ目のね。狭くってさあ、炬燵に6人くらいが入らんといけんような窮屈さだったんよ」

 

赤松「見学に入ったときも、炬燵がドドーンとあったのにはビックリでした」

 


|利用者さんで印象に残ってる人

津田「赤松さんが特養から“ぶどうの家”に来てから良かったなあ! と思うこと。
それと、関った利用者さんで特に思い出にある人とかあったら教えてください。赤松さん、長いからねえ!」

 

赤松「そうなんですけどねえ。ウーーム? MさんとかSさんとかですかねえ。今はケアマネ業務ですが、私が現場の介護の一人として関った人たちですから。Hさんとかもですね。名前を一人一人言われたらもっと浮かんでもくるかも? ですね」

 

津田「確かにね。で、Mさんも、いろんなことを勉強させてもらった人だったよなあ! 
Mさんの大きな失敗は、私がね、Mさんと一緒に温泉へ行ったんよ。
行ったらね、車から降りるときにMさん、車止めに躓いて転けたんよ。
あっ!! と思ったら転けていて、『大丈夫?』と聞いたら『全然大丈夫』って言うからね。
気にはなったけど、そのまま温泉に入ったんよ。

温泉に入ってからもスコブルでルンルンで、一緒に二人で湯に浸かっていたら太ったオバチャンが来たんよ。
そしたらMさん『まあ! よう肥えてますね』とか『すごい肥えてて立派ですねー』とか言うんよ。
普通の日常下なら『着膨れして云々』とか言えるけど裸でスッポンポンの人に『よう太っとる』とか言われたらフォローの仕様がなかったなあ。そんなこんなで湯から出て、結局は骨が折れとったんよ」

 

赤松「肩?」

 

津田「腕だったかな? 痛い! となって、それがとても後悔。あのとき、もう少し私が注意しておけば良かったなあ、と思って。それからは車の乗降については人一倍気配りしてるんよ」

 

赤松「転げちゃうとね。ありますね本当に」

 

津田「Mさん、トイレットペーパーをやたらに、どこへでもパンパンにポケットが膨れるくらい持って行ったり。
そういえば、ウチの職員が他の施設との勉強会のとき、利用者さんの問題行動について話し合いをした時に、他の施設の人からは『徘徊が』とか『異食が』とかの声が多かったけど、“ぶどうの家”のスタッフだけ『トイレットペーパーが』とか言って、それが問題になるというのがとても良いなあ! と、話を聞きながら私は楽しかったりした覚えがあるんよ」(津田 一人で大爆笑)

 

赤松「私はね、それについてはそんなに問題にしなくても良い派でした。彼女のルーティーンというか、安心感というかですね。まあ結局、本人に購入してもらうことになりましたけどね」

 

津田「それはそれは激しかったからなあ!」

 

赤松「そういう意味では職員も、事業所のトイレットペーパーとなるとイライラも募るかも? ですけどね」

 

津田「あのとき面白かったよな。『いったい何メートルを使うのがトイレットペーパーとして正常なのか?』。
そんな話で盛り上がったり真摯に模索したりで。徘徊の人もいたし異食の人もおったけど、皆の中ではそれは大きな問題ではなくて、トイレットペーパーが無くなるという事の方が問題になっているということに私は、『あっ!! 良いなあ!』と思ってしまいました。皆のおおらかさにね」(二人は爆笑)

 

赤松「Mさんも最後、新しく立て直した今の建物に来ましたけど長かったですよね。皆さん、長生き」

 

津田「長いよね、皆。関わりはじめて10年を超える人が多い」

 

赤松「長く付き合えていられるというのは素敵ですね」

 

津田「そうそう。要介護2くらいで出会って、そのまま最後まで。看取りまで一緒におらせてもらえるというのは凄く有り難いです」

|子連れ出勤

赤松「Kさん(若年認知症の利用者の方)がですね、私自身はKさんとあまり関われてないんですけど、育休とか頂いてましたから。

 

でも、子供を連れて来たときに、Kさんが抱っこしてくれて、その写真を撮ってたんですが、あれをもらっておけば良かったなあ! って後悔は少しあります。

 

今のようにスマホで誰でもが撮れるわけではなく、データに保存できるわけでもなく、写真家さんに行って現像してもらいプリントを受け取る時代でしたから。会社のカメラで撮ったんですよ」

 

津田「本当になあ! Kさんも水害で全てを無くしたからなあ。でも、その写真、どこかにあると思うよ」

 

赤松「出てくると嬉しいです。上の子が時々ここに来て皆さんに可愛がってもらってた証ですから」

 

津田「子供を連れてきてくれるというのは凄く良かったし、今も皆が連れてきてくれるのは凄い良いなあと思うよね。夏穂(津田の長女)もそうだった」

 

赤松「津田さんがそうやってきたというのをね、それでOKしてくれたというのがあったから。

でも、主人は『子連れ出勤ホントに良いの? 大丈夫? 迷惑にならないの?』って心配してたけど、やむを得ないときは大丈夫という、津田さんや会社側の姿勢は本当に確かりました」

 

津田「皆、そういう風に言うね」

 

野田→赤松「17年前の子連れ出勤ですか?」

 

赤松「今、上の子が17歳になるので、1年は育休を取って1歳児から働き始めただしたんですよ。

最初はパートだったんで休みの日に連れて来て遊びに来るとかもあったとは思うんですけど、保育園に預けてたんで頻度は少なかったです」

 

津田「そうは言っても、予定通り行くわけもなく、どうにもならん事態はあるからね。だけど、幼児や子供がいると雰囲気が和むんよな」

 

野田「今でこそ、幼児と爺婆は相性が良いとかで率先して子連れを推奨する施設も増えて来たけど、17年前は画期的でしたね」

 

赤松「相手してくれたり、喜んでもくれましたからね」

 

津田「連れて来るお母さんは、気持ち的に大変ではあるじゃろうけどな」

|これからの目標

津田「赤松さん、これからの目標とかありますか?」

 

赤松「目標?」(少し考え込む)

 

赤松「正直言うと仕事での目標というより、今は、自分の子供が部活とかで頑張ってるので、子供の頑張りを応援したいんです。なので、なんとか家と仕事の両立ができたらなあ! と願ってます」

 

津田「今、そういう時期よね」

 

赤松「そうなんですよ。それと、下の子が中学生になったら生活リズムがどうなるのか? まだ読めないところが多くて」

 

津田「塾の送り迎えとか、いろいろ大変なことが増えるもんなあ」

 

赤松「子供さんがおる職員もいたり、理解してくれる職員も多くいるので、その辺はお互い様で。私も逆に、フォローできることはやりますから」

 

津田「それよ。お互い様ができるところが“ぶどうの家”の強みじゃからな。皆、お互いを認め合ってるからね」

 

赤松「もう少し、子供のことでは手が掛かるかな? ということで、よろしくお願いします」

 

津田「了解です。これからも頑張って下さいね」


最後に

 

赤松の印象は、よく笑う人。笑いの渦に包まれてインタビューは終了した。優しい人という印象も強かった。

20年も“ぶどうの家”で働き続けた最古参ではあるけれど、お局的イメージは欠片もない。

“ぶどうの家”からの引退は、当分なさそうだ。