[第10回]

住宅型有料老人ホームぶどうの家花帽子  食事:清掃他担当・大河多美子(72歳)


ー2025年9月15日ー

はじめに

 

大河との初対面、私が持った印象は「背筋がしっかりと伸びてるなあ!」だった。瞬時、明治時代を背負って生きてる様な亡き祖母を思い出していた。その祖母は凛として厳しく、そして優しかった。

津田「これは、私と職員さんとの対談で『職員さんが私になんでも言っていいよ』という企画です」

 

野田→大河「すみません。今、おいくつになられますか?」

 

大河「72歳です」

 

野田→大河「ご家族は?」

 

大河「息子夫婦、孫2人と同居です」

 

津田「大河さん家ってキレイよなあ! いつもピッカピカ。机や廊下、どこもかしこも」

 

大河「汚れる前にできる限りはしています。あまり汚れると後が大変なんで!」

 

津田「凄いよなあ、それが。だいたい、汚れて『わあああー!!』となってからだから。大河さんってホントに細やかにしてくれる。で、“ぶどうの家”では最初、真備でご飯を作ってくれてたんな。あれが何年前になる?」

 

大河「こっち来て何年になりますかねえ? とにかく65歳から“ぶどうの家”にお世話になってます。で、今、72歳だから7年前ですね」

 

津田「もう7年になるんだ。早いねえ! でも、88歳までは頑張って欲しい」

 

大河「えっ!? 米寿ですか? 三田さんも頑張ってるし見習います」

 

津田「そうなあ! 三田さんが大河さんに声してくれたんじゃもんなあ!」

 

大河「まあ、ご飯を作るのもあの頃は必死でしたね」

 

津田「頑張ってくれてたよなあ! 手際がすごくいいんよ」

 

大河「出勤して材料を見て、そこからメニューを考えてでしょ。大変でした。だけど、真備から船穂の方に呼んでもらって、私的には良かったなあ! と」

 

津田「大河さんに合ってるよなあ! ここが、なかなか掃除が出きらなくて大変だったんで、『大河さんが花帽子に来てくれたらキレイになるじゃろうなあ』と期待してたんじゃけど、期待どおりにしてくれてバッチリよ」

大河「なりましたかねえ?」

 

津田「なったよー。まだまだ足りない所はいっぱいあるけど、それでも見違えるほどに変わったから。だけど、最初に来たとき大変じゃったろ? あそこもここも、と」(ギャッハッハと津田の爆笑が響く)

 

大河「少しずつは元どおりには戻ってきてます。ここは木の作りの家だから。今風のワックスが掛かっているような所ならもっと苦労するんでしょうけど?」

 

津田「キレイにしてくれたー。廊下なんかも凄くキレイ!」

 

大河「まだまだ至らないんですけどね。」

 

 


大河「まあ、そうしながらも利用者さんともお喋りできるし『男の人ばっかりやから女の人とお喋りできるの嬉しいわあ!』って言ってくれる利用者さんもいてくれるんで私も楽しんでます」

 

津田「大河さんが明るく『ワァー』と喋ってくれるから、そこに華があるんよな」

 

大河「だけど、私なんかも順番で、先がどうなることやら?」

 

津田「私もですけれど?」

 

大河「ですよね。そう思うと…… 。利用者の皆さん、ここで最期を迎えるわけでしょ。だったら少しでも生活しやすいようにと思い、動いてます」

 

津田「そんな風に思ってくれる職員さんがおってくれるから、皆さん、利用者さんが安心して暮らせるんじゃからなあ! ありがたいです本当に」

 

大河「私の受け持ちはともかく、大変な仕事だと思いますよ施設の介護は」

 

津田「どんなところが、そう思えるんかなあ? 私なんかは長すぎるから麻痺してるんよ」

 

大河「個人個人ありますけれどね職員さん。『よくここまで出来るなあ! 凄いなあ!』と思える職員さんがいる反面、中には食事介助中でも、まだ利用者さんが食べ切れてないのにササっと片付けてしまう職員さんもいたり。利用者さん、ゆっくり食べる人で、私は『あれっ!? なんで最後まで付き合わないん?』ってなりましたよ」

 

津田「うんうん。誰か分かるけどな」

 

 

大河「それを見て、我が身も反省です。ああなっちゃいけないな」


 

津田「ところで、大河さんって花帽子のミーティングに出てる?」

 

大河「出てないです」

 

津田「なんで?」

 

大河「ミーティングしているときは見守りです。誰もいなくなるから2階で見守りしてます」

 

津田「そういうことか。だけど、先の食事介助のことにしても、途中でササっと片付けるんじゃなくて最後まで付き合う。こういう意見、すごい大事なんよな。それが伝わってるんかなあ? リーダーや管理者に」

 

大河「言ったことはまだないです」

 

津田「言ってよ。すごい大事だから。介護じゃない人が普通にいて、どっちか言うと大河さんは生活を一緒に作ってるじゃない。利用者さんと一緒に。だから、利用者さんとかご家族の目線に近いモノもいっぱい持ってると思うんよ。そういう人が気付いたことを、しっかり言ってくれると改善できるから。ねっ! 言ってよ。『あっ! またこんなことをしてる』とかあるじゃない。言ってください。諦めたら終わり。根気良く改善していかないとダメになるから」

 

大河「そうですね。掃除面とかは相談したりもするんですけど。そうそう、畳のところにできるだけ座ってもらう方が良いからって椅子を避けたんですけどね。利用者さんにも定位置のような場所があるじゃないですか。

 

山下さんなんかは、自分が座ってた椅子が無くなったもんだから、今、自分の部屋のベッドに腰掛けたり、テレビを見たりで自室に引きこもる時間が長くなってます。で、ペッチャンコの椅子があったからたまに座るんですが、座るときも大変なんですよ。脚が曲がらないから。だから、できたら椅子、山下さん用に置いて欲しいという提案はしたんです」

 

 

@津田は、うんうん うんうん と、納得しながら頷くばかり。

 

 

大河「でも『畳に座って、できるだけ過ごすようになったからねえ!』ってことから後、先には進んでないですよ。

だから、元々あった椅子を出してくれれば良いんですけどね」

 

津田「下の畳の生活を大事にしたい、ということは良く分かるんよ。

つまり、楽だろからって椅子にしてしまうと、立つ座る・立つ座るをしなくなるから筋力低下を導いて、出来ることも出来なくなる。だから良くないなあとは思うけど…」

@突然、大河が津田の言葉を遮って熱く語る。

 

大河「だからね、職員さんが1人付いててね、座るときに『下に座っていいよ』って出来るようになれば良いんだけど、自分1人で座るとなると大変よ。私だって若い頃のようにはいかないんだから」

 

津田「そうそう。だからね、その辺のバランスはあるから、そこを大河さんからも言ってもらって『じゃあ、どうしたら良いのか?』を皆で考えていく。この過程がすごく大事なんよ。じゃないと、安易に誰も椅子になるから」

 

大河「利用者さんであれ誰であれ、楽な方へ傾きますもんね」

 

津田「でも、この人には椅子が必要なんじゃなっていう風になって考えられれば、また違うんよ。だから、考えること・模索することが大事だから、大河さんには発言して欲しい。大河さんの立ち位置って、ある意味、客観視できるから私からすると大事なポジションなんよ」

 

大河「分かりました。目に余るような事あれば」

 

津田「目に余ることなくてもお願いします」

 

大河「自分の仕事をね、早く片付けたい終わらせたいというのは分かるんですけど、それが先になって本末転倒。食事介助でも、利用者さんがまだ食べられるのに『もういいね? もういいね?』とか急かしたりね。利用者さんも遠慮して頷いてしまったり。見てると辛くなります。私だって、いつまでも元気でいられるわけじゃないですから」

 

津田「それは有り得ない」

 

大河「だけど、あるんです」

 

津田「私も、いれば言えるんじゃけど、おらんからなあ! でもな、ちょっとずつ“あの子”のことも、皆で注意して直していかんといけんねって。皆も気配りはしてくれてるんよ。“そういう子”だって分かってるから。いかにして真っ当な介護士にするか? って。だけど、見たとき、直ぐに注意していかんと直らんからね。自分1人だともっとやってしまうから」

 

大河「私が口を挟んで良いものか? 悩みます」

 

津田「挟んでください。見たら直ぐに」

 

大河「他のところは言うことないんですよ。こまめにいろいろやってくれるし、その一点だけが……」

 

津田「そうそう。良いところはイッパイあるんよ。だから成長して欲しいんよな。大河さんからもジャンジャン注意してやってください。よろしくお願いします」

 

大河「了解しました。遠慮なしで」

津田「さてと、大河さんにとって“ぶどうの家”ってどんな所?」

 

大河「それこそ社長が言われるように“できるだけ最後まで家で過ごす。

それを支えよう”を実践している介護施設です。

入所せざる得ない人も我が家のように生活してるし。水害で我が家を失った人にとっては正に我が家でしたもんね。

 

真備の小規模多機能にいたとき、三海さんでしたか? 亡くなる2・3日前まで歩いてるのを見てるんですよ。

2・3日後、仕事に出ると亡くなっているので『へえー!?』って驚いてしまったんです。

 

災害後は津田さん武田さんと寝起きを共にしていた人ですよね? お歳も90歳ほど? お布団の上で大往生。ご家族もいらっしゃってて、あの光景は言葉を選ばず言えば“素敵”でした」

 

津田「オシッコがなあ! 彼女は紙パンツが嫌で。それを職員皆が知ってたから、最後の最後までトイレに連れてって。

お風呂も入って。

職員も、元気なときからの彼女を知ってるから、その人がどんな人で、どんな事が望みでとか分かってるから。

でも、それを叶えるように実践することは理解していても難しいけど、最後まで職員は頑張ってくれたんよ」

 

大河「素晴らしいなあ! と思いましたよ。夜、一緒に泊まってねえ。それぞれ皆さん、いくら仕事とはいえですよ」

津田「さてと、大河さんにとって“ぶどうの家”ってどんな所?」

 

大河「それこそ社長が言われるように“できるだけ最後まで家で過ごす。

それを支えよう”を実践している介護施設です。

入所せざる得ない人も我が家のように生活してるし。水害で我が家を失った人にとっては正に我が家でしたもんね。

 

真備の小規模多機能にいたとき、三海さんでしたか? 亡くなる2・3日前まで歩いてるのを見てるんですよ。

2・3日後、仕事に出ると亡くなっているので『へえー!?』って驚いてしまったんです。

 

災害後は津田さん武田さんと寝起きを共にしていた人ですよね? お歳も90歳ほど? お布団の上で大往生。ご家族もいらっしゃってて、あの光景は言葉を選ばず言えば“素敵”でした」

 

津田「オシッコがなあ! 彼女は紙パンツが嫌で。それを職員皆が知ってたから、最後の最後までトイレに連れてって。

お風呂も入って。

職員も、元気なときからの彼女を知ってるから、その人がどんな人で、どんな事が望みでとか分かってるから。

でも、それを叶えるように実践することは理解していても難しいけど、最後まで職員は頑張ってくれたんよ」

 

 

大河「素晴らしいなあ! と思いましたよ。夜、一緒に泊まってねえ。それぞれ皆さん、いくら仕事とはいえですよ」


津田「そうやって、介護意外のところから“ぶどうの家”の職員がやっているのを見てくれて、良い所も悪い所も評価をしてくれる人がいるってことはとても重要だと思うんよ」

 

大河「そうなんですかねえ?」

 

津田「大河さんがそう言ってくれれば、皆、もっと頑張れる」

 

大河「スタッフさんは大事ですもんねえ!」

 

津田「スタッフは大事で大切。ただね、誰かがね? 悪い言葉を使ったり、ムッ! とするような態度をとったりすると厳しく叱らないとダメ。

 

『あなたのその一言とか、その行動が、私たちが積み重ねてきた今までを一瞬にして無にしてしまう』と。

 

信頼を失うのって本当に簡単なんよ。でもな、利用者さんが良い生活をしてもらえたらと思うんだけど、職員もちゃんと育ったら良いなって思うし幸せになって欲しい。

 

問題のある職員を排除するのは簡単かもしれないけど、でも、そんな職員を育て上げることも私の仕事。簡単じゃないけどね。大河さんも私のチームに入って苦言してください」

 

 

大河「そうですね。出来る限りやってみます」

 

津田「そうそう。大河さん草刈りもしてくれたんでしよ? 暑い最中に」

 

大河「人生初でした草刈機を使ったのは。なんでもチャレンジで、面白おかしく仕事させてもらってます」(2人で大笑い)


最後に

 

社長自らが食事・清掃の担当職員と対談というのは稀なはずだと想像するが、ある意味“ぶっちゃけトーク”が生まれた。
“ふかぼり”の狙い通りかな? 

もっとも、社長と職員という関係以上に、地域の仲間同士のような近い関係性から生まれたのかもしれない。

今回で10人目の登場となったが、幅広く、いろんな声が聞こえてくるのは興味深い。